今朝は起床直後に、幻想的な景色を書斎の窓から見た。フローニンゲンの街も徐々に春に近づいてきたためか、朝日が昇る時間が早くなってきている。
太陽が早朝の闇から抜け出ることを知らせるかのように、辺り一面が薄赤紫色に照らされたのである。このような光景はこちらに来て初めて目撃した。
書斎の窓から見える赤レンガの家々でさえも、辺りを包む薄赤紫色に溶け込んでしまうようだった。その光景を目撃した時、私はなぜだか日本の春を思い出した。
おそらく、日本に春がやってくるのもあと少しだろう。書斎の窓から見えた薄赤紫色の景色は、満開の桜を彷彿させた。この幻想的な景色は、あっという間に過ぎ去っていった。
だが、その光景が私にもたらした余韻は、私の内側に依然として強く残っている。それは日本の春を思い起こさせるものであったがゆえに、この余韻は消えることなく私の内側に留まり続けるかもしれない。
そのような光景を早朝に目撃することができて、とても嬉しく思う。 昨日は午後から、仕事の調子があまりすぐれなかったが、夕食後から再びその勢いを取り戻したことが記憶に新しい。普段であれば、睡眠前の一時間から一時間半を仕事以外の自由時間に充てるのだが、昨夜はそうしなかった。
というのも、「状態空間分析」を行うための特殊なソフトウェアのファイルをようやく適切に作成することができ、ソフトウェアが突如としてうまく機能したからだ。実は、先週もこのソフトウェアを活用するために、研究データを適切なファイルフォーマットに変換しようとしていた。
しかし、その時は変換がうまくいかず、ソフトウェアが起動することなく、非常に苦戦していたのだ。結果として、このソフトウェアを研究に駆使しているカナダ人のナオミ・デ・ライター教授にメールをし、一度データのファイル形式を確認してもらうミーティングを依頼していたのだ。
幸運にも、昨夜試行錯誤をしながらファイル変換を模索していたところ、一挙にこの問題を解決することができたため、今日中にデ・ライター教授にお礼と共に、ミーティングのキャンセルをしておく必要がある。 この一件を通じて、改めて問題が解決されることの不思議さを実感した。先週あれこれと試行錯誤をした時には問題が解決されず、しばらく時間を置いて、改めて問題に当たってみると、突如としてその問題を解決できたのだ。
この裏には、問題と離れている間においても、私の中で、問題を解決する方法を無意識的に模索していたような現象が継続していたのかもしれない。これは知識体系にせよ、技術体系にせよ、発達現象の肝を象徴するようなことだと思う。
つまり、問題が解決することにせよ、発達が起こることにせよ、そこには必ず時間にさらされた熟成期間が必要なのだ。対象に真剣に向き合えば向き合うほど、その瞬間には問題の解決や発達が起こらなかったとしても、水面下ではそれが解決に向かう方向や発達の方向に向かっているのだろう。
そして、問題が解決される瞬間にせよ、発達が起こる瞬間にせよ、それは非連続的であり、突発的なものである。今回の一件は、そのようなことを改めて私に思わせてくれる象徴的な出来事だった。2017/3/8