午前中の恵まれた天候のおかげで、ランニングに出かけることができた。ランニングから戻り、昼食を摂ったところで、再び午後の仕事に取り掛かった。
もうそろそろ言葉にする必要がないほどに、淀みのない流れの中で仕事に没頭している自分が常態化しつつある。もはやそれ以外のことが、生活の中心を占めることは一切ないと言っても過言ではないだろう。
人間の発達現象の考究に関する仕事が生活の中心点をなし、中心点から描かれる探究の円の中に、絶えず自分が置かれているような状況である。午後一番に取り掛かっていたのは、以前「複雑性と人間発達」というコースの中で参考文献として取り上げられていた “Dynamics of representational change: Entropy, action, and cognition (2009)”という論文である。
この論文が参考文献として取り上げられたのは、「再帰定量化解析」を扱ったクラスの時であったように記憶している。その時に、この論文を一読していたのだが、今日改めて読み返してみると、洞察に溢れる内容が多数記載されており、少々驚きを受けた。
表面的には、自己組織化という概念をより多角的に捉えることを促され、再帰定量化解析の原理に関する理解を促されたと言っていいだろう。しかし、そのような表面的なこと以上に、この論文を読むことを通じて、人間の発達に関して私がこれまで見逃していたような観点を獲得できたように感じたのだ。 この論文を読みながら感じていたことを備忘録を兼ねて書き留めておきたい。これはランニングに出かける直前に感じていたことと密接な関係を成している。私たちの能力という一つのシステムが新たな能力構造(段階)を生み出す際には、自己組織化という現象が必ず起こる。
この自己組織化が起こるプロセスをより詳しく見ると、とても興味深いことに気づく。端的に述べると、システムが自己組織化を迎えるためには、システムが持つエントロピー(乱雑性)が増加する必要がある。
言い換えると、システムの構成要素の活動が増し、システム全体の不安定性が増加する必要があるのだ。そして、システムが不安定性の極致に到達することによって、次の構造が生み出される。
すると、エントロピーは次第に減少し、システムが安定的な状態に落ち着いていくのだ。ここでポイントになるのは、私たちの発達には、不可避的にエントロピーの増大が要求され、不安定性の極致を通過しなければならないということだ。
これはどのような小さな能力領域においても当てはまる。こうしたことを考えると、発達という現象が、いかに当人の心理システム全体を大きく揺るがすことになりかねないということが容易にわかるのではないだろうか。
いかに小さな能力領域においても、それが新たな構造を生み出すためには、エントロピーの増大による不安定性の極致を経なければならないのだ。ましてや、自我の発達領域という個人の実存性と密接に関わる領域の場合、発達という現象がいかに危険かがわかるのではないだろうか。
私たちがこの世界に対して意味を付与する能力と密接に関係した自我というシステムが、新たな構造を生み出すというのは、不安定性の極致を通過するということなのだ。 数日前に私は、フローニンゲン大学での二年間の研究生活を終えた後、再び米国に戻るか、オランダで研究者としてもう一年ほど大学に残って働くかを再検討していた。仮にオランダに合計で三年間生活をすることにした場合、最後の年の滞在許可をどのように申請すればいいのかを、学生課にメールで尋ねた。
連絡を取った相手は、私がフローニンゲン大学に来る前からお世話になっていたオランダ人女性である。一日経ってから届いたメールを読むと、彼女は燃え尽き症候群を患い、現在は別の課で働いているという内容だった。
私がフローニンゲン大学に来る際に、彼女は大きなサポートを私にしてくれていたため、その知らせは非常に残念であった。彼女の知らせを聞いた時、昨年の年末に日本に一時帰国していた際に、電通の過労死の事件をニュースで目にしたことを思い出した。
燃え尽き症候群にせよ、過労死にせよ、それらは個人の内側において、自己システムが崩壊を迎えてしまったために引き起こされた現象だと思うのだ。上記の話をもう一度振り返ると、システムが新たな構造を生み出すためには、システムのエントロピーが増大する必要がある。
これは何を意味するかというと、ある種、システムに新たな投入量を投げ入れ、負荷をかけることを指す。そして、システムが新たな構造を真に生み出すためには、そうした負荷が不安定性の極致に到達する必要があるのだ。
現在、日本で広まりつつある発達理論は、自己システムの中でも、特に実存性に深く関わる自我の発達領域を扱うものである。私が最も危惧をしているのは、システムが新たな構造に到達するためには、不安定性の極致に到達するまで投入量を上げていく必要があるという論理を逆手に取ることだ。
とりわけ、企業社会における人財育成において、こうした論理が逆手に利用される危険性が非常に高いように思われる。自我というシステムの成長を促すために、過度にエントロピーを増大させるような取り組みに従事させることは、燃え尽き症候群や過労死と同様に重大な「自我の崩壊」をもたらしかねないのだ。
企業社会の人財育成において、これは本当に避けなければならない問題だと思う。2017/3/3