今朝は朝一番に、起床直後から気になっていたことを確かめるために、書斎の机に向かうなりすぐに、昨日取り掛かっていた研究データの解析を再開させた。
昨日とは少しばかり異なる手法を用いてデータを眺めてみると、その結果、非常に面白いことがわかった。具体的には、どうやら研究対象とした成人学習の現場において、レフ・ヴィゴツキーが提唱した「最近接発達領域」のような現象が見られ、さらには、教師が学習者に提供する「スキャフォールディング(足場固め)」の効果が、クラスの回を追うごとに徐々に薄れていくような現象を見つけたのである。
つまり、そこでは何が起こっていたかというと、学習者が学習項目の理解力を学習の進捗に応じて高めることによって、教師側が支援の度合いを徐々に緩めていくような現象が起こっていたのである。まさに、学習の初期の段階においては、教師側が手厚いサポートを提供していたのだが、学習者の成長に応じて、そのサポートの度合いが徐々に緩まっているのを見て取ったのである。
これは非常に面白と思って、早朝から研究データと向き合っていた。今回の研究では、「最近接発達領域」や「スキャフォールディング」を取り上げることはないので、この発見事項のさらなる調査は、また次回以降の研究の中で取り組んでいきたいと思う。 その後、昼食までの時間、非線形ダイナミクスの手法に関する論文に目を通していた。特に、「トレンド除去変動解析(Detrended Fluctuation Analysis:DFA)」と、その母体である「変動解析(Fluctuation Analysis:FA)」に関する論文を読んでいた。
これらは、人間発達の研究に活用されるよりも前から、自然現象が持つ変動性の分析や、株価のトレンド予測などの経済現象に応用されていた手法である。確かに、トレンド除去変動解析は、変動性の分析に関して信頼性のある研究手法だと言われているが、この論文を読む限りでは、見逃すことのできない問題を抱えていることがわかった。
研究データの種類や性質に応じて、トレンド除去変動解析よりも、より単純な変動解析の方が有用であることが見えてきたのである。ただし、この論文は非常に専門性が高く、読んでいる最中に、付いていけない点が多々あった。
そのため、現在かつ今後の自分の研究データに対して、変動性を分析する際には、トレンド除去変動解析の方が変動解析よりも望ましいのかを慎重に検討してく必要があるだろう。昨日のラルフ・コックス教授とのミーティングにおいても、彼がトレンド除去変動解析の方を推進する考えを持っていることがわかったので、トレンド除去変動解析を批判的に検証したこの論文について、コックス教授がどのような意見を持っているのかを今後伺ってみたいと思う。 昼食後からは、昨日かなりの時間を使って分析作業に打ち込んでいた「交差再帰定量化解析」と、その大元にある「再帰定量化解析」の背後にある理論を解説した論文に目を通そうと思っている。再帰定量化解析の肝は、ダイナミックシステムの挙動が見せる寄せては返す波を捉えることにあるだろう。
再帰定量化解析は、その波の頻度だけではなく、波が持つ諸々の性質を明らかにしてくれる面白い手法である。どこかで言及したように、今の私には、もはや非線形ダイナミクスの手法やデータが開示する数字というものが、冷たい固形物ではなく、生きた血の通った生命体を映し出すように思えてならないのだ。
応用数学の手法や数値データの背後には、生きた生命体が常に躍動しており、その躍動のストーリーが見えてくるのだ。こうした生の動きとストーリーを、自分の呼吸以上に近くに感じることができるがゆえに、私はこの探究にのめり込んでいるのだろう。
昨夜の夢の中で、「人間発達の探究をするために、仮に自分の寿命を差し出さなければならないとしたら、どれほどの寿命を引き換えに差し出すことができるか?」という問いを投げかけられた。私は夢の中で、迷わず「いくらでも」と答えていた。
そのように回答した自分について、今の私はよく分かる。おそらく夢の中の私は、人間発達の探究をすることは、私の生命そのものを躍動させる力があり、差し出した寿命以上の生命時間を享受できると知っていたのだろう。その判断はとても正しい。
そのようなことを考えれば考えるほど、人間発達の探究に打ち込めば打ち込むほど、自分の中で言葉を喪失するような幸福さが込み上げてくる。確かに、そうした幸福感は一瞬の現象かもしれない。
それでも、私の生活の中に常にそうした一瞬が存在するということを忘れてはいけないように思う。たとえどんなに過酷な状況においても、そうした瞬間は必ずやってくる。
黒々とした雨雲のような気分の時にも、必ず青空が顔をのぞかせる瞬間がやってくるのだ。書斎の窓から景色を眺めると、先ほどまでの晴天が一変してしまい、雨がまた降り始めた。
だが、私の中の幸福感は決して変わらずにそこにあった。2017/3/2