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785. 新たな言葉の世界へ


昨日は非常に充実した日曜日であった。当初計画していた仕事を全て完遂することができ、自分が向かう地点へ確実な一歩を刻んでいたと思う。

また昨日は、いつもより多くの文章を書き留めていたように思う。書き留められた日記を読みながら、それは自己の本質の一端が通った軌跡のようなものに思えた。

むしろ、そうしたものこそを日記で残しておきたいのかもしれない。自己の最も深いところにある何かが、その日に確かに躍動していたということを書き留めておきたいのかもしれない。

だが、そうした躍動が残す軌跡は、まだまだ濁りがあるように思える。それは、私がまだ真の意味で自分の固有性を獲得していないからだろう。

真の意味で自己の本質に至った時、それが残す軌跡は、必ずや透過性のあるより鮮明な色を帯びるだろう。そこに向かうべく、今日も自分の仕事を着実に前に進めたい。 昨日の夜に、感情の連続性と非連続性について少しばかり考えていたように思う。端的に述べると、感情が持つ真の豊かさを享受するには、自分がその時に感じている感情に対して、ふさわしい言葉を探す試みをする必要があるということを書き留めていたと思う。

結局のところ、そうした試みは感情に対してのみならず、自分の内側で生じる思考や感覚などの全てのものに対して実践する必要があるだろう。それこそが、自分の内面を真に深めていく実践なのだと思う。

そして、そうした実践を通じて、生の深い実感のようなものが得られる気がしてならない。一方で、私はさらに一歩先に進んだ実践を自らに課す必要に迫られているように思う。

それは、思考・感情・感覚といったものと真摯に向き合い、適切な言葉を見つける試みを超えて、そもそも自分の言葉そのものを検証することである。自分が日々用いている全ての言葉を再検証しなければ、もはや前に進めないところまで来てしまったように思う。

どうすれば日々を静かに激しく生きることができるのかを考えた時、自らの言葉をつぶさに吟味することしか手段が残されていなかった。言葉の再検証から出発し、自分の言葉を再所有する試みが不可欠となる。

言葉を検証する過程で、自分の言葉でないものは手放さなければならない。同時に、既存の自分の言葉をより深めるためにも、手放さなければならない言葉が自分の中にあるようだ。

その先に、また新たな自分の言葉の世界が開けてくることを期待する。2017/2/27

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