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742. 発達支援における発想の転換:支援する者とされる者


今朝は五時に起床し、朝の習慣的な実践を終えた後に、すぐさま午前中の仕事を開始した。フローニンゲン大学のヘンデリアン・スティーンビーク教授、ポール・ヴァン・ギアート教授、マライン・ヴァン・ダイク教授が共同で執筆した論文をまず最初に読んでいた。

この論文は、子供に対する科学教育について、タレントディベロップメントの観点とダイナミックシステムアプローチの観点を用いながら論述したものである。この論文を読みながら、ふと能力の所在地について考えていた。

私たちの能力は、脳の中にあるわけでも、記憶の中にあるわけでもない。確かに、私たちの能力は、脳や記憶と関係しているものなのだが、それらの中に埋め込まれているという発想は、近年の発達研究から誤ったものであることがわかっている。

ダイナミックシステム理論を発達現象に適用した第一人者の一人であるエスター・セレンとリンダ・スミスの言葉を用いれば、私たちの能力は、文脈に応じて緩やかに構成される形で姿を表すのだ。つまり、私たちの能力は脳に保存されているようなものではなく、刻一刻と変化する今この瞬間の状況に応じて発揮され、具体的な所在場所を持たないのである。

ここから、私たちはある意味、能力開発において発想の転換を迫られているように思う。私たちの能力は、固定的な所在地を持たないという特徴のみならず、個人の能力は個人の所有物ではないという発想を持つことが大事なように思われる。

つまり、私たちの能力は、取り巻く他者や文脈に応じて発揮されるという特徴を持っているがゆえに、個人の能力というのは、その個人を取り巻く他者や文脈の中に分布しているのである。それはさながら、私の能力はあなたの能力であり、あなたの能力は私の能力であるというような発想を迫るものだと言えるだろう。

要するに、私たちの能力は、固定的な所在場所を持たないゆえに、偏在的な特徴を持っているのだ。ここから、自分の能力や他者の能力を開発する際に、注意しなければならないことがあるように思う。

自己の能力を向上させる場合に、自分の能力がそもそも取り巻く他者や文脈の中に分布しているという発想を持っておかなければ、それは閉じられた空間での能力開発になってしまい、結局現実世界の中でその能力をうまく発揮できなくなってしまうことを引き起こしかねない。 また、他者の能力を開発する際には、支援者そのものが開発対象とする能力と不可分のものであるということを念頭に置いておかなければならない。これは奇妙なことに思えるかもしれないが、支援者の存在は、他者が開発しようとする能力そのものであり、そこに宿るのだ。

要するに、支援者というのは、他者が能力を開発する際にも、能力を発揮する際にも、常にそのダイナミズムの中に組み込まれた存在なのである。そうした自覚がなければ、支援者は能力発達のダイナミズムの蚊帳の外にはじき出されてしまい、他者の能力を真に育んでいくことなどできないだろう。

そして、本質的には、支援者そのものがそのダイナミズムの中に組み込まれており、その責任を強く担うという発想を持つことが大事だろう。つまり、発達支援というのは、支援される者の発達を外側から関与することではなく、内側から関与することなのだ。

より厳密には、支援者は支援される者の発達現象の一部に他ならず、それゆえに、真の発達支援において、支援する者と支援される者という関係性が消えるのである。便宜的かつ形式的には、支援する者とされる者との区別は継続するが、本質的な部分において、支援する者とされる者は、同じ発達のダイナミズムの中で平等な関係を提携しているのだ。

そして、こうした関係性は、他者のみならず、環境においても当てはまる。そのため、私たちの能力は一人の個人に属するという発想を超えて、その個人と取り巻く他者や環境の中に偏在する形で発揮され、三位一体となって初めて育まれるという発想を持つことが大事になるだろう。2017/2/13

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