今日は午後から、「創造性と組織のイノベーション」というコースの初回のクラスに参加した。このコースは産業組織心理学に属するものであり、コースを担当するのは、個人の創造性と組織のイノベーションを専門としているエリク・リーツシェル教授である。
リーツシェル教授は以前、「タレントディベロップメントと創造性の発達」という コースのゲストレクチャーに招かれていたことがあり、そのレクチャーが私の関心を強く引くものであったため、今回のコースを履修しようと思ったのだ。
クラスが行われるレトロな雰囲気の教室に到着してみると、すでに受講者がまばらにいた。どのあたりに座席を確保しようか一瞬迷ったが、結局、最前列の真ん中に座ることにした。
クラスが始まると、リーツシェル教授がゆっくりと講義を開始した。リーツシェル教授のクラスが面白く感じられるのは、一方的な説明を彼の方から行うのではなく、受講生を巧みにレクチャーの中に引き寄せながら、双方向的な色合いが強いからだと言える。
個人の創造性を専門としているから創造的に見えるのではなく、実際にリーツシェル教授はクリエイティビティに溢れた人物だと私は思っている。教室空間の作り方、講義資料の中身と構成、それらの中にクリエイティビティが現出しているからこそ、彼のコースは惹きつける何かがあるのだと思う。
今日のクラスでも、リーツシェル教授のユーモアから繰り出される発言に対し、教室内は大いに盛り上がっていた。やはり、ユーモアや笑いという要素は、学習にとって不可欠なもののように思える。
教室空間にユーモアや笑いがもたらされることにより、それが潤滑油となって、受講生が積極的にクラスに参加しようという姿を見てとることができる。ユーモアや笑いには、学習を促進するようなエネルギーが充満しているとさえ言えるかもしれない。 クラスの途中、教室の最前列の真ん中に座っているにもかかわらず、私は頻繁に、リーツシェル教授の説明とは何ら関係のないことを考えていた。非常に些細なことであり、私はなぜリーツシェル教授の発言をほぼ完全に理解することができているのか、ということをふと考えていたのだ。
これは単純に、リーツシェル教授の英語が流暢だという問題ではない。リーツシェル教授のクラスで扱われる内容は、私のこれまでの専攻や実務経験と大きく重なっており、そこで得られた知見のおかげで、教授の話が手に取るようにわかるのだと思ったのである。
これは少しばかり見落としていた点であり、私が学部時代に専攻していた経営学の知識と経営コンサルタントとして働いていた実務経験は、馬鹿にできないほどの言語体系を、自分の内側に静かに構築していたのだと気付いた。
こうした言語体系がなければ、企業組織をテーマとし、経営学に隣接した産業組織心理学の話を速やかに咀嚼していくことはできないだろう。そのようなことを考えていると、皮肉にも、今の私の専門分野であるはずの発達心理学や複雑性科学のクラスの説明を完全に理解したと思えることは、今のところ一度もないということに気付いた。
それはやはり、それらの領域に関する自分の言語体系の未熟さを示すものだと思うのだ。ユーモアに溢れる教室空間に身を置いていると、そうした自らの未熟さも微笑ましく思えるから不思議であった。2017/2/9