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716. 連弾による懐古と教示


人生というのは、やはり偶然性と必然性の数珠から構成されているのだとつくづく思う。

偶然性や必然性に関する問題は、今の私には手に負えるものではなく、偶然だと思っていたものが、それを超えた視点から眺めてみると必然であったり、必然だと思っていたものが、それを超えた視点から眺めてみると偶然であったりする。

「偶然」「必然」という概念が真に意味するものを、言葉の表層的な意味に囚われることなく、経験を通じて捉え直していくことが大切であるように思う。経験を通じて検証を重ね、経験を通じて意味を捉え直していくという試みを、私の中に存在している全ての日本語の語彙に対して少しずつ行っていくことが、今の私にとっての一つの課題である。

そうした試みを課題として認識するのではなく、日々の生活の一部となるまで愚直に継続させていきたいと思う。

以前の日記の中で、今年の四月にオーストリアのザルツブルグの国際学会に参加する話を書き留めていたように思う。また、三日前に、共通の知人を持つ日本人ピアニストの方が、私の上の階に引っ越してきたという偶然についても書き記していたように思う。

さらに大きな偶然として、その方の知人のピアニストが現在、ザルツブルグのモーツァルテウム大学で音楽教育を専攻しており、昨日からフローニンゲンに来られるという話になった。私の日々の生活の中で、音楽は無くてはならないものであり、書斎にいる早朝から晩までの間中、常に音楽が流れている。

特に、仕事の最中は、何かしらのピアノ曲を絶えず流すようにしているのだ。そうしたことからも、ピアニストの方にあれこれと質問をしてみたいことが無数にあり、今回の偶然性はとても有り難いものとして私に降ってきた。

また、私の関心事項に「教育」というものが核に横たわっているため、その方が音楽教育を専攻されているという話を聞き、多くのことを聞いてみたいと思った。そうした背景もあり、今日は、上の階のピアニストの方が現在通われている、フローニンゲンにあるプリンスクラウス音楽院を案内してもらうことになった。

案内をしてもらったと言うよりも、二人のピアノ演奏を聴かせてもらいに行った、というのが正確だろう。自宅からフローニンゲン駅の方角に30分ほど歩いたところにある音楽院に到着した時、フローニンゲン大学で私と同じプログラムに在籍しているインドネシア人の友人であるタタが、研究プロジェクトを行っている音楽院はここのことだったのだ、と初めて知った。

音楽院の中に入ると、そこは私が普段空気を吸っている大学の雰囲気とはまた異なるものがあることに気づいた。私がいる世界とは異なる世界でありながらも、その場所で何かが探究されているということを伝えるのに十分な雰囲気が漂っていた。

そうした雰囲気の余韻を感じながら、私たちはピアノのある空き教室に向かった。教室に到着すると、太陽光が優しく差し込むこじんまりとした空間がそこに広がっていた。

私が今の道を探究し始めてから、せいぜい七年の時間しか経っていない。この七年の間において、私は何を生み出し、自分の中で何を磨いてきたのかを問われると、回答に苦しむ自分がいる。

それぐらい今の私は、自分の専門領域を通じてこの世界に何かを生み出しているという実感もなければ、果たして自分の中で磨かれているものが確固として存在するのかどうかを疑問に思っているのだ。今私の眼の前のピアノの前に座っている二人のピアニストは、その道を20年以上も継続して歩いてきたことを考えると、尊敬の念しか湧いてこなかった。

敬意の眼差しを持ちながら、私は教室の片隅の椅子に腰掛けて、二人の演奏が始まるのを待っていた。最初に二人に演奏をしてもらったのは、ドビュッシーの連弾曲である。

私にとって、一台のピアノを二人で演奏する「連弾」というのを実際に見たのは初めてであった。楽しさがこちらに伝わってくるような、二人の息の合った演奏を聴きながら、抑えがたい感情が内面の奥底に広がっているのを感じていた。

教室に差し込む柔らかな太陽光に包まれ、二人が奏でる息の合った音色を聴きながら、私は、若くしてこの世を去った親友について思い出さずにはいられなかった。

彼と私は小学生の頃、同じサッカーチームに所属しており、ペアでの練習を常に共にしてきた。二人の演奏を聴きながら、彼との思い出の世界の中にいた時、私はふと、なぜ自分が現在、ダイナミックシステムアプローチや非線形ダイナミクスの手法を活用しながら、二つの動的なシステムが同調する「シンクロナイゼーション」という現象に取り憑かれているのがわかったのである。

私は本当に、この瞬間まで、彼との幼少時代の原体験が、20年後の今の私の探究の核心部分にあることを知らなかったのだ。これこそが、偶然であり必然であり、人生というものを最もわからなくする類の現象であり、そうでありながらも、私が最も生きていることの神秘さを感じることだと言っても過言ではない。

私が掴むべきものは、人間の発達に関する知識でも技術でもなく、こうしたものなのだ。これを掴むために、私はあれから20年生きてきたし、フローニンゲンというオランダ北部の小さな街で生活をすることになったのだと思う。

そして、今この瞬間、この音楽院の一つの教室にいるのも、偶然性も必然性も超えた意味があるのだと思わざるをえなかった。

ドビュッシーの連弾後、ザルツブルグのモーツァルテウム大学に在籍しているピアニストの方からショパンの『ノクターン』を演奏してもらい、フローニンゲンのプリンスクラウス音楽院に在籍しているピアニストの方からサンサーンス作リスト編曲ホロヴィッツ編曲の『死の舞踏』を演奏してもらった。

それらの曲を聞いている間中ずっと、人生の不透明さと明瞭さと、それらを超越する人生そのものについてただただぼんやりと考えていた。2017/2/4

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