数日前より、朝の時間をより有意義に過ごしたいと思うようになった。私はこれまでも午前中の時間を非常に大切にしていたのだが、これまでの姿勢をさらに見直し、午前中の時間をより集中的に仕事に充てることができるのではないかと、ふと思ったのだ。
基本的に、起床直後に体を少しばかり動かし、その後、ここ六年間ほぼ毎日行っている英語の音読と筆写を行い、オランダ語の学習を少々行うという習慣が朝の日課となっている。これらの日課を終えてから、昨日の振り返りと一日の開始を促すために日記を一つほど書く。
これらの一連の習慣が終わった後から、自分の仕事に取り掛かるという流れになっている。これらの流れに関しては、特に変更を加える必要は全くなく、ただし、朝の時間をより創造的なものにするという意識をより明確に持ちたいと思うのだ。
朝というのは、私にとって不思議なもので、やはり一番集中力が高く、何かに没頭するには最適な時間であるように思うのだ。仮に早朝の六時に起床した場合、午前中の間に随分と密度の濃いい仕事を完遂させることができることに気づく。
今の私は、より密度の濃いい仕事を求めて、朝の時間をより大切にしたいと思うのだ。そのような思いにさせてくれたのは、ゲーテの朝の過ごし方にある。
ゲーテも朝の時間を創造的な活動に最適な時間だとみなしていた。ゲーテが晩年に執筆した『ファウスト第二部』は、毎朝ごくごくわずかの分量で書き続けた文章が積み重なって生まれた作品だということを最近になって知った。
朝の時間を貴重なものとみなし、毎朝少しずつ何かを積み上げていくことの大切さをゲーテから教わった気がしたのである。 もう一つ、ゲーテの探究姿勢から得たことは、思想体系にせよ知識体系にせよ、それは日々の小さな積み重ねの中に不可避に伴う様々な感情のうねりの末に獲得されるものだ、ということである。一人の人間が何らかの探究活動に従事する際、そこには必ず様々に渦巻く感情が影に隠れているはずである。
渇望、葛藤、迷い、驚き、失望、感謝、絶望、幸福などのうごめく感情を抱えながら、日々小さなことを積み重ねていくことによって、初めて自分の内側に「体系」と呼ばれるものが構築されるのだと思う。それはまるで、諸々の感情という大河から生まれる一つの雫のように映る。
今の私は、この大河の一滴を得るために、日々を大切に生きているのだと思う。それが自分の生きる拠り所のような気がするのだ。2017/2/1