昨日、ようやく米国のアマゾンに注文をしていた専門書が届いた。数年前に購入していた “A dynamic systems approach to the development of cognition and action (1994)”という専門書に感化されるものがあり、同じ著者が執筆した今回の書籍 “A dynamic systems approach to development: Applications (1993)”を購入したいと思っていたのである。
両者の書籍はともに、ダイナミックシステムアプローチを幼児の身体運動の発達に適用した第一人者エスター・セレンとリンダ・スミスが執筆している。タイトルからもわかるように、どちらもともにダイナミックシステムアプローチを扱った専門書である。
タイトルが似たようなものであるため、実は数ヶ月前にトラブルがあった。後者の書籍を注文したにもかかわらず、前者の書籍が自宅に届いたのである。
年末年始の一時帰国中に、UPSが何度も今回の書籍を宅配しようとしてくれていたそうなのだが、私が不在であったため、かなり迷惑をかけることになってしまった。昨日無事に本書を受けることができ、これから読み進めていくことが非常に楽しみである。
そもそも、この書籍を購入した意図は、私が敬愛するフローニンゲン大学教授ポール・ヴァン・ギアートが論文を寄稿しており、その論文を読みたかったためである。また、本書の中にはその他にも優れた論文がいくつも掲載されていたからである。
確かに、大学のオンラインジャーナルを活用すればPDFで入手することが可能であり、プリントアウトすることもできるのだが、どうしても一つの書物の形でそれらの論文を読みたいと思ったのだ。昨日、歯医者の待合室でざっと本書を眺めていると、非常に興味深い発達現象に関する記載や見慣れぬ概念や理論が掲載されており、それらと今後じっくりと向き合うことを楽しみにしている。
これは当然と言えば当然なのだろうが、新しく手に入れた書籍に限らず、これまで読んだことのある書籍の中には、常に自分にとって新しい発見や気づきがある。つまり、いかなる書物の中にも、常に今の私が持ちえていない知識が梱包されていることに気づくのだ。
私が毎日行っている作業は、そうした梱包を紐解き、新たな知識を獲得し、それを自分の内側で体系化していくということなのだろう。そこから一つ思ったことがある。
知識が拡張すればするほど、確かに盲点などが生まれてくることもあるかもしれないが、基本的には、世界に対する新たな観点が拡張し、これまで見えなかったことが一層見えてくるように思う。
別の見方をしてみると、知識の拡張は、護身的な役割を果たすのではないかと思ったのだ。この点と最初の点には若干の飛躍があるが、知識が持つ護身性に考えを巡らせた背景は、発達理論が近年日本で普及しつつあることと関係している。
発達理論を探究する研究者として、そして、その知見を実社会に適用する実務家として、発達理論が日本で普及し始めていることは歓迎するべきことである。しかし、手放しに歓迎できないのは、現在日本で紹介されている発達理論は、非常に限定的なものであり、それらが抱えている限界を補完するような他の発達理論に目が向けられていないことにある。
つまり、多くの人にとって、現在日本で紹介されているロバート・キーガン、スザンヌ・クック=グロイター、ビル・トーバートの理論が発達理論の全てであるかのような錯覚を持っており、他の理論を積極的に学ぼうとするような意識が見られないのは、非常に残念なことであり、危惧するべきことである。
なぜなら、いかなる理論と同様に、それらの理論は限界を抱えているのにもかかわらず、他の発達理論を学習しないことによって、それらの限界に対して盲目的な状態が続き、そうした盲目性から浅薄な実践やサービスが世に出回ることを招くような気がしているからである。
現在、日本で普及し始めている発達理論の知識は、発達理論を包摂する知性発達科学という領域が持つ知識のうち、雀の涙ほどであることを肝に銘じておく必要があるように思う。危惧されるべきことは、そうした限定的な知識をもとに、それらの限界に盲目的な実践者やサービス提供者が、発達理論をもとにした浅薄なものを世の中に提供することである。
こうした状況に備えて、護身的な意味を含めて、現在普及し始めている発達理論を超えて、人間の成長や発達について私たちは学び続ける必要があるように思うのだ。現在執筆中の第二弾の書籍は、護身のための知識獲得に資するようなものにしたい。2017/1/19