気がつくと新年を迎えていた。初日の出は、横山大観の作品に出てくる太陽の光のように力強く美しい。四年ぶりに実家で年末年始を送ることができ、このような初日の出を拝めることを嬉しく思う。
昨年の年末年始は、東京の自宅で過ごしており、書籍の原稿の手直しを行ったり、普段と変わらず専門書や論文を読んでいたように思う。今年の大晦日は、実家でリラックスをしながら、先日の家族旅行で訪れた島根県の足立美術館で購入した画集を眺めたりしていた。
普段から脱力をした状態で仕事を進めることを意識しているが、今はいつも以上に力みがなく、心身が非常に緩んだ状態にあるのがわかる。硬くなるのではなく、緩むことによって、心身に柔軟な変動性がもたらされ、それが自然と私を前に進めていく。
緩むことは、何をするにも非常に重要であり、こうした柔らかさは鍛錬を継続させるためだけではなく、実践をより深みへと至らしめる重要な要素だと思う。仮に外面が硬く見えたとしても、内面は常に柔らかさを保つことが重要だ。元旦の焼き餅のように。
日本に一時帰国している都合上、東京に到着して以降、自分の思考空間が日本語で満たされているのを感じる。英語とオランダ語混じりの思考空間から意識的に日本語の思考空間へ移行したわけではなく、これは自然な調節であった。
私の精神世界の中で、このように言語を自然に調節することは、もはや何らの違和感なく遂行されるものとなっている。日本語の思考空間の中で思う存分くつろぎ、実家にいる間に日本語の文章を味わっておきたいものだ。
脱力した状態で、自分の日本語を練磨し、成熟への歩みをまた少し進めたい。新年の誓いのようなものはこれといって特にないのだが、今年も昨年と変わらず、自分が扱う諸々の言語体系をより磨いていくことが重要であり、深まりを望むものをより深めていくことが大切である。
今年はなんだか昨年よりも大きな変化を経験するような気がしている。しかしながら、それが具体的にどのような形を伴ったものなのかは定かではない。
ただし、それらの変化は私が心から望むものであることは確かだ。確信めいたものがあるとすれば、2017年は、全く違う世界へ足を踏み入れることを支えてくれる年になるであろう、ということだ。2017/1/1