日本に一時帰国することによって、新たな日本語を獲得しつつあることを実感している。当然のことながら、それは新たな日本語の語彙を獲得することではない。
自分の中で新たな言葉を見つけるということである。日本に一時帰国する一週間前に、自分の言葉に新鮮さがないことに気づいていた。
それは多分に、第二弾の書籍を執筆することの中で、自分の多くの言葉を紡ぎ出していたことと無縁ではないだろう。しかしながら、それ以上に何か重要なことが、言葉と自己との間に横たわっている気がしている。
今このように実家に戻ってくることによって、自然と言葉が湧き上がってくるのは非常に不思議である。一人の人間の中で、絶えず変化が起こり、それは進化への歩みを形成するものであるがゆえに、新たな言葉が内面世界から湧き上がってくるという現象には納得がいく。
ピアノを演奏する母が何気なく、「偉大な作曲家だけではなく、無名な作曲家を含め、彼らを取り巻く周りの人たちからの支援を受けながら、彼らがたくさんの優れた楽譜を残してくれたことに有難さを感じる」という趣旨のことを述べていた。
人間の仕事の尊さは、まさにそこに凝縮されているように思う。文化や環境を含めた他者からの支援のもと、自分の仕事を何らかの形として伝承していくことの中に、人間の営みが持つ尊さを感じるのだ。
自己の表現物を形として残し続ける人に対して私が尊敬の念を覚えるのは、彼らが自分の存在をかけてそうした伝承を担っているからであろう。日々の生活の中で、私が絶えず音楽を聴き、絵画作品を眺めているのは、作者が担った伝承行為に対して敬意を表するためという理由と、大いなる励ましをもらうためという理由があるのかもしれない。
いずれにせよ、形を浮き彫りにし、形を残すことに絶えず従事していきたいと思わされたことは間違いない。なぜ形を残すことが重要なのか?という問いについて長らく考えていた。
この問いに対しても明確な一つの答えがあるわけではないが、答えの重要な候補の一つに、「人とのつながり」があるような気がしている。作品を形として生み出すとき、そこには作者の何らかの想いが存在している。
その想いの根幹には、人とのつながりがあるように思うのだ。こうした想いは人間に普遍的なものであろう。そのような普遍的な想いが深ければ深いほど、それが形になった時、一つの作品として長くこの世界に存在し続けることになるのだと思う。2016/12/31