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605. 専門領域の「密教化」に抗って


今日は、絶えず霧に包まれた一日であった。確かに、雲ひとつない晴天の一日も好きなのだが、このように鬱蒼とした霧がかかっている一日も、それはそれで趣きがある。

午前中と午後に二つの論文を読み、それらがとても洞察に溢れる内容だったので、打たれる感情を噛みしめるのに少し時間がかかった。大いなる感化をもたらしてくれた論文のタイトルは、 “Timing is everything: Developmental psychopathology from a dynamic systems perspectives (2005)”と “Dynamic systems methods for models of developmental psychopathlogy (2003)”である。

どちらの論文も筆頭著者は、イサベラ・グラニックというトロント大学に長らく在籍していたルーマニア人の研究者である——現在は、オランダのナイメーヘン大学に所属している。グラニックの研究で興味深いのは、精神病理の発生メカニズムの解明やその治癒方法の発見に対して、ダイナミックシステムアプローチを適用していることである。

精神病理の発生メカニズムやその治癒方法を模索することは、視点を変えると、発達現象の発生メカニズムと発達支援の方法を模索することと同じである。これらの論文を読みながら、非常に参考になる箇所が多く、多数の書き込みを行っていた。

長らく、一般システム理論を適用する研究者とダイナミックシステム理論を適用する研究者の発想と研究アプローチの違いについて考えており、これらの論文を読むことによって、徐々にそれらの相違点が自分の中で明瞭になっていった。

また、ダイナミックシステム理論を発達研究に適用する本質的な意味についても、自分なりに掴むことができたと言えるだろう。それらについて、また別の機会で考えを書き留めておこうと思う。 これらの論文を読みながら、二つのことを実感した。一つ目は、とても私的な事柄であり、二つ目は、公的な事柄である。一つ目に関して、ダイナミックシステム理論全般に関する言語体系が自分の中で確実に構築されているのを実感したのである。

ある専門領域の論文や専門書を読み解くためには、その領域固有の特殊な言語を獲得しなければならず、それは外国語を習得するのとほとんど同じだと思っている。数年前までは、構造的発達心理学や構成的発達心理学の古典的な理論を中心に学んでおり、ある時、ダイナミックシステム理論に出会った時の衝撃は非常に大きかったのを覚えている。

それ以降、ダイナミックシステム理論と発達科学を架橋する論文や専門書を少しずつ読み進めてきたのであるが、当初は何が書かれているのかを理解するのに苦戦していたのを覚えている。

長い年月をかけて苦戦と向き合いながら、少しずつダイナミックシステム理論という特殊な言語体系に親しんできたことによって、今、視界が大きく開かれたような感覚にいる。その感覚は、新しい外国語に習熟し、ようやくその外国語を使いこなせるようになってきたことに喩えられるかもしれない。 そこから、二つ目の公的な気づきに至った。今このように獲得しつつある特殊な言語体系を、自分の中で閉じるのではなく、開いていくことが重要なのだ、という気づきである。

表現を変えると、知性発達科学のこれまでの研究成果や、リアルタイムで行われている研究の成果は、その領域の専門家以外の実務家や一般の人にも非常に有益であるにもかかわらず、それが特殊な言語体系で構築されているがゆえに、それを一般的な言語体系を通じて共有・翻訳するような試みが大事なのではないか、ということである。 これは他の学問分野にも当てはまるだろうが、端的に述べてしまうと、知性発達科学がより専門化し、その領域内の言語体系が高度化すればするほど、その領域内の知識体系が「密教化」されていることに気づいたのだ。

知性発達科学の領域に身を置いていると、日進月歩で新たな発見事項や知見が加わるのを目撃する傍ら、それらが高度な言語体系の中に包み込まれ、一般の人たちがアクセスできない知の体系になってしまっているのを実感する。

確かに、それらの知識体系は、学術論文という体裁をとり、文字で書き残されているため、顕教が高度化していると述べた方がいいのかもしれないが、それらの知識体系が多くの人たちにとって目には見えない手の届かないものになっている、というのは確かである。

そうした様子を踏まえると、知性発達科学を取り巻く現状は「密教化の進行」と形容してもいいように思うのだ。特に、近年の知性発達科学は、応用数学のダイナミックシステムアプローチなどの複雑性科学の言語体系が入り込んできており、一部の学者や研究者だけが理解できる記号体系——専門用語や数式——を用いて知識体系が積み重なっている。

それゆえに、そうした体系は、それらのごく一部の限られた人間に所有されていると言えるだろう。研究者としての私に求められているのは、確かに、現在の知性発達科学の言語体系を少しでも高度なものにしていくことにあるのだが、実務家としての私に求められているのは、そうした言語体系を多くの人に開示・共有するようなことにあると気づいたのだ。

これからの自分が取り組んでいくべきことは、知性発達科学の言語体系と自らの言語体系を高度化していく作業と同時に、それらの言語体系と一般的な言語体系を繋ぎ合わせ、知性発達科学の知見が公的な知識になるように貢献していくことだろう。

公私の仕事が重なり合うことほど、今の自分にとって喜ばしいことはなかった。一生涯取り組むべき仕事の外形は、それに尽きるだろう。2016/12/9

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