言語の習得というのは、本当に継続と積み重ねの賜物なのだと実感している。毎朝、わずかばかりでもいいので、必ずオランダ語に触れるようになってから、少しずつオランダ語が身体に染み入ってくるようなった。
もちろん、身体の深い部分に染み渡るような段階ではなく、現在は、オランダ語に拒絶反応を示すことがなくなった、という意味での浸透感覚が芽生えている段階だ。それにしても、こうした感覚が自分の中で芽生えることになろうとは、四ヶ月前に日本にいた時には想像もつかなかった。
新たな言語体系が自分の中で獲得されつつあるという感覚が芽生えたのも、オランダ語を日々少しずつ取り組んできたからに他ならない。オランダ語に加えて、英語もより高度な体系として自分の内側で構築されていくように、日々精進をしている。
このようにオランダ語や英語という外国語に付け加えて、自分の専門領域の言語体系の土台を堅牢なものにし、その土台に少しでも高さを加えていくようなことを毎日意識的に行っている。
こうした実践の裏には、今の私の専門領域内での言語体系や自分の外国語の言語体系は、自分の母国語の言語体系と同じで、全くもって未熟だという思いがある。 兎にも角にも、毎日自分が向き合うべき対象は、己の言葉である。言葉しかない。自分を取り巻く言葉と真摯に向き合うことによって、己を陶冶していくことしかないのである。そのような想いが、オランダでの日々が経過していくごとに強まっていく。 しかし皮肉なことに、こうした想いが日増しに強くなっていったとしても、当の言語体系の方は一向に深まっていかないのだ。こうしたプロセスは、実践を継続させていくことによって、目には見えないところで徐々に進行している流れのようなものである。
それらの流れが大きなうねりとして実感できるまでは、どうしても時間がかかるのだ。焦らずに、確実に、この流れそのものを太くするように、毎日言語と向き合いたいと思う。 早朝に行うオランダ語の学習時間は、とても短いものである。長くても30分ほどである。これ以上連続してオランダ語を学習することは、今の私にはできない。
逆に、日々の研究活動の中で、専門分野の言語体系を構築していく営み、つまり専門書や論文を長時間にわたって読むことができているのは、自分がうまく複数の専門領域を行き来しているからかもしれない、と思った。
要するに、私が意識的かつ無意識的に行っているのは、複数の専門領域の言語を交互に学ぶことである。これによって、集中力を保ったまま、長時間にわたって多様な学術言語体系と向き合うことができているのだと思う。 ここからは、英語が自分に肉薄してきたように、専門分野の言語体系が自分に肉薄してくるような促しを行いたい。一つの単語が真に自分の単語になるように、一つのセンテンスが真に自分のセンテンスになるように、時間をかけながら専門分野の言語と向き合っていく必要がある。
それを可能にするのは、兎にも角にも継続的な実践である。それらが目に見える結果として現れるのには、時間がかかる。これを常に念頭に入れながら、専門領域の言語体系を堅牢にしていきたいと望む。 自分の精神と肉体を通して言語体系を構築していくこと。これが何よりも重要だ。当該専門領域内で新しい言葉を生み出すのは、当分後のことである。最優先されるべきことは、既存の言語体系を深く確実に習得することだ。これを蔑ろにしていてはならない。
特定の領域で専門家として活動するためには、その領域の言語体系を獲得することが最低限要求されるのだ。自分独自の専門性とは、そこからさらに歩みを進め、自分独自の言語体系を形作っていくことである。
外国語学習と同様に、これらの歩みは遅いのが当然だ。自分独自の言語体系を形作っていくための土台として、まずは既存の言語体系を確固としたものとして身に付けたいと思う。自分を取り巻く多様な言語体系を、何にもまして継続的に体験を通じて学んでいきたい。
ただただ言語と向き合いたいという気持ちでいっぱいである。 2016/12/4