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576. 建築家のように


集中的な読書を行った日の夜の睡眠時間は、やはり普段以上に長くなっていることに今朝も気づいた。おそらく、九時間近い睡眠時間を確保していたように思う。

奇妙なことだが、いつも就寝前に、自分の知識や経験の体系が少しでも深みを増すように願っている自分がいるのだ。こうした祈るような行為はおそらく、自分の内側の構築物の高度や堅牢性が、非常に取るに足らないものだという自分の思いから生まれている気がしている。

専門書や研究論文を読んでは何かを書き、何かを書いてはまた何かを読み、具体的な実務作業に従事しては何かを書き、何かを書いてはまた具体的な実務作業に従事する、というような生活を日々送っている。

私たちの内面世界に存在するものが深まり、高度化していくには、長大な時間を要することを頭では重々に理解しているつもりである。まさに、内面世界に生起する思考や経験、そしてアイデンティティなどが深まっていくプロセスとメカニズムを私は研究しているはずなのだ。

しかしながら、自分に正直となり、私の内面世界の諸々の現象に着目してみると、それらが深まっていく速度に物足りなさを感じているのは確かである。つくづく、内面世界の現象の発酵過程は、忍耐強く時間をかけながら対象と向き合う必要がある、と感じさせられる。

忍耐と継続という要素が欠けたとき、内側の発酵過程はそこで終わりを告げる。忍耐強く継続的に対象と向き合い続けることができるかどうか、ということこそが発達的な試練なのだろう。 早朝、以前の自分の文章を読み返すことがあり、少しばかり愕然とさせられた。というのも、一つの対象について言葉を紡ぎ出していく際に、自分の語彙の貧困さや表現方法の多様性のなさを目の当たりにしたからである。

今の私の目の前には、英語やオランダ語という他の言語をより高度化させていくということに加え、知性発達科学を取り巻く諸々の言語体系に習熟する必要がある、という課題が突きつけられている。それに加えて、自分の日本語能力をより確固としたものにしていかなければならない、という課題も浮上している。

明確に述べることができるのは、自分を取り巻く諸々の言語体系を彫琢することを放棄した瞬間に、内側の成熟過程はそこで止まる、ということである。これは大きな確信である。私たちは、自らが関与する言語体系を磨く努力を怠った時、必ず内側の成熟が止まる。そのような衝迫的な想いが、自分の中に去来している。

もう一つ、自分の文章を見て愕然とさせられたのは、視点や観点の貧困さであった。そもそも言葉を用いて何かを表現する際には、視点や観点というものが不可欠な要素として求められる。

そして、そうした視点や観点を作り出すものは、知識であり経験といったものだろう。ここから、自分の知識や経験の絶対量が圧倒的に不足していることに対して、真剣に向き合おうとする自分がいることに気づく。

昨夜就寝前の祈りに似た願いは、知識体系の確固とした構築物を内側に築いていくことに対してであったが、そもそもそうした構築物を作るための材料を獲得しなければならないのだ。何もないところから、必死に構築物を建設しようとしても無駄であり、まずはその材料を内側に獲得していくことから始めなければならない。

昨日の集中的な読書は、そうした切実感からもたらされた行為だったのかもしれない。建築家が自分の生涯を捧げて、建築物を建設していく仕事に従事するのと同じように、私も一生をかけて、自分の内側の建築物を構築していきたいと強く願う。

この仕事に終わりはないということは、重々承知しているが、言語体系を彫琢しながら言葉を紡ぎ出していく作業と、知識と経験を心身に刻み込むことをしていかなければ、何も始まらないだろうし、何も生まれないだろう。そのようなことを朝から思わされた。

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