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575. ピアジェの構成的知性発達モデル


今日は、ほぼ一日中、ピアジェの発達理論と向き合っていた。ピアジェの生誕の地であるスイスのニューシャテルを訪れて以降、ピアジェの存在がより近しいものになっている気がする。

私自身の知性発達科学に関するこれまでの探究を振り返ってみると、ピアジェの理論について学ぶよりも、新ピアジェ派と呼ばれる研究者たちの理論について学習することが多かった。その大きな理由の一つとして、知性発達科学の探究を始めた時の私の関心は、成人期以降の発達にあり、ピアジェの理論では、成人期前の発達についてしか基本的に扱われていないためである。

もちろんピアジェは、成人期以降の知性に見られる「後形式操作段階」についても提唱していたが、彼が行った具体的な研究というのはほとんど無い。これはよく言われることであるが、発達心理学に多大な功績を残したピアジェを発達心理学者という枠組みで括ることは、少し乱暴であるように思われる。

実際に、ピアジェは自分自身のことを発達心理学者とは見なさずに、「発生的認識論者」と定義付けていたのだ。ピアジェを知性の発達を取り扱う哲学者だと捉え、その書籍を読んでみると、いくつもの面白い発見と出会うことができるだろう。 本日、改めて面白いと思ったピアジェの理論モデルは、「構成的知性発達モデル」と呼ばれるものである。私たちの知覚を司る能力と概念を司る能力は、相互作用をしながら私たちの知性の発達に寄与している。

しかし、ピアジェの指摘で面白いのは、知覚を司る能力が概念を司る能力を決定づけることはなく、概念を司る能力は質的(構造的)に変容し、それは知覚を司る能力を決定づけるほどの大きな影響を与えるというものである。

数年ぶりに同じ景色を見て、こうも印象が違うものか、という経験をしたことはないだろうか。そうした経験の背景には、ピアジェが提唱した上記の理論モデルが関係しているように思える。私自身も、数年ぶりに同じ景色を見たときに、これまでとは全く印象が異なる経験を何度もしている。

これは何を示しているかというと、数年前の自分と比較して、今の自分の中で知覚の変化が先に起こったというよりも、概念を司る認識の変化が先に起こったと考えた方がいいだろう。私たちの認識の変化が、知覚作用に大きな影響を与えているのである。

私は渡欧する直前あたりから、日常目にするものを、自分の認識変容のマイルストーンとしている。オランダで生活を始めて以降は、自宅周辺の景色や大学の校舎などが、マイルストーンに該当する。これらの対象物に対する知覚的印象がどのように変化するのかを、時折観察している。 フローニンゲンの街で生活を始めて以降、自分の内面世界がこれまでとは違う足取りで動き始めているのに気づいていた。その触媒になったのは、環境変化による知覚の変容だとこれまで思っていた。

しかし、ピアジェの構成的知性発達モデルに今日触れたことによって、それが誤りであったことを知る。やはり、環境変化に伴い、真っ先に自分の内側で生じていたのは、概念を司る認識能力の方だったのだ。

こちらの変容が先に起こっていたために、それが知覚の変容を生み出し、世界の捉え方が刷新されたのだとわかった。

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