今朝はいつもより早い四時に起床し、早朝からジャン・ピアジェの発達思想に触れていた。多くの人は、ピアジェを発達心理学者とみなすかもしれないが、それは少々誤解がある。
もちろん、ピアジェが発達心理学に果たした貢献は非常に大きいが、彼は発達心理学の領域を超えた探究を行っていたのである。一部の専門家から、ピアジェは認識論者であった、とみなされる所以はそこにある。
一言で述べると、ピアジェは、人間という存在とは知識を構築する有機体とみなしていたのだ。発達心理学のロバート・キーガンが「人間は意味を作ることを宿命づけられた存在である」と述べていることと同様に、ピアジェは「人間は知識を構築することを宿命づけられた存在である」と述べていたと言っても過言ではないだろう。
ピアジェは元々、生物学者としてキャリアをスタートさせたこともあり、環境の中で生じる人間の行動に着目しながら、それらの行動がどのように組織化され、時間の経過に合わせてどのように再組織化されていくのかを探究していた。
とりわけピアジェの発想で面白いのは、知識を継続的に発達する人間の器官の一つとしていたことである。生物が進化を遂げていく際に、環境に適応しながらその器官を形作っていたのと同様に、人間の知識は、環境に適応しながら新たに形成されていく一つの器官なのである。
ピアジェのこうした発達思想に触れていると、私がオランダに来てから、どうして自分の知識体系の色と形が変わってきたのかがわかった。私たちの知識体系は、思考と密接に関係していることにはそれほど異論がないだろう。
ピアジェも指摘しているように、知識が組織化されるためには、その環境内に適応するための思考が要求される。私は、オランダという新たな環境に適応するために、特殊な思考を余儀なくされていたのだと思う。
これはどのような環境においてもそうだろう。新しい環境に私たちが飛び込む時、そこでは必ず、その環境への適応が強いられる。その時に、私たちの思考はこれまでにない形で機能し始める。
言い換えると、思考に新たな機能が付け加わることによって、その環境に適応することができるのだ。もちろん、新たな環境が既存の環境とそれほど違いがない場合は、ピアジェの言葉を用いれば、単なる「同化」が起こる。
これは、思考の枠組みが大きく変わることなく、既存の思考の枠組みで新たな環境に適応していく方法を指す。一方、新たな環境が既存の環境と大きく異なれば異なるほど、思考の枠組みを一新させることが要求される。
これがまさにピアジェが言う「調節」である。オランダの地へ降り立って以降、私の思考の枠組みが変容したように感じていたのは、まさにこうした新たな環境への適応が背景にあったのだと思う。
さらに、思考の枠組みが変容することによって、思考が感情に与える影響が変化し、感情が知覚に与える影響も変化しいてることに気づく。そして、知覚の変化が感情の変化を生み、感情の変化が思考の変化に影響を与えるという循環構造が生じているように思う。
新たな環境の中で、自分の内側で非常に動的な循環が起こっていることに気づく。こうした循環的な構造が、いかに私の知識体系の構築に作用しているのかは、もはや歴然としたことである。