私たちの知性や能力が発達していくプロセスは非常に多様であり、私たちには各人固有の知性や能力の種類が備わっている、という考え方は、それほど疑問の余地はないように思う。しかし、これまでの知性発達科学の世界では、常識的と呼べるようなこのような発想を踏まえた研究を行うことが難しかったのだ。
それどころか、知性や能力の発達プロセスを一本化する形で研究を進めてきたとさえ言える。これは以前にも紹介したように、研究手法の洗練さの問題や、知性発達科学を取り巻くパラダイムの影響を多大に受けている。
そうした影響を受ける形で、既存の発達科学の研究では、個人データを活用するのではなく、集合データを活用することがほとんどであった。つまり、ここでは、「平均」という概念を用いながら、個人の発達の独自性を捨象する形で、発達研究が行われていたのである。
繰り返しになるが、私たちの知性や能力の種類とその発達プロセスが本質的に多様であることを考えると、そうした発達研究は非常に大きな問題を抱えていると言えるだろう。
近年の知性発達科学の世界では、複雑性科学の理論や研究手法、特に応用数学のダイナミックシステムアプローチに対する関心が年々高まっている。ダイナミックシステムアプローチを活用した発達研究で重要なのは、私たちの知性や能力の発達は、「エルゴード性(ergodicity)」を持たない、というものである。
「エルゴード性」というのは、時間平均と集合平均が同じになる性質のことを指す。仮に、私たちの知性や能力がエルゴード性を持つのであれば、集合の発達プロセスと個人の発達プロセスは同じ形をしており、さらには両者の発達プロセスに伴う変動性の度合いも同じであることになる。
そこから、集合データの特質は、個人データの特質と同じである、ということが導き出されてしまう。しかしながら、これは、私たちの知性や能力の発達に関して、大きな過ちを犯していると言えるだろう。
実際に、ダイナミックシステムアプローチを発達研究に活用しているペンシルヴァニア大学のピーター・モレナーが実証研究で明らかにしているように、人間の発達現象においては、エルゴード性はほとんど見られないのである。
その理由はまさに、上記で言及したように、私たちの知性や能力の発達は、様々な影響を受けながら、各人多様なプロセスを辿るからである。とりわけ発達研究において、集合データを個人に当てはめるのは、大きな問題があると言えるだろう。
これは、発達支援に関して警鐘を鳴らすものでもある。例えば、ロバート・キーガンなどのマクロな発達構造に着目した理論を学ぶことによって、目の前のクライアントの発達段階が仮に3であった場合、そこから段階4へ支援をしていく際に、単純にキーガンの段階モデルに沿って支援をしていてもほとんど効果はないだろう。
確かに、キーガンの段階モデルを活用すれば、段階3から4への大まかな特徴的なプロセスを掴むことができるが、実際には、段階3から4のプロセス一つをとってみても、各人様々な歩みを見せるのである。そのため、単純にクライアントの現在の立ち位置、つまり発達段階を見極めるだけではなく、クライアントごとのミクロやメソの発達プロセスを見極めることが極めて重要なのだ。
それができれなければ、結局のところ、固有な発達プロセスを本来持っているクライアントを、一つの発達物語の中に押し込める形で支援を行うことになってしまうのだ。こうした支援のあり方は、個人の特質を集合平均の特質に還元するという、エルゴード的な発達支援だと言えるだろう。