先週末のオンラインゼミナールで「変動性」という概念を取り上げ、受講生の皆さんに、日々の自身の変動性について観察をしてみる、という実践を提唱して以降、自分も同じようにこの実践をより意識的に行うようになっている。
仏教の世界においても、全てのものは時間の経過に応じて移り変わる、という「諸行無常」の考え方や、全てのものは関係性の中で変化している、という「諸法無我」の考え方がある。これらの考え方は、現在私が探究しているダイナミックシステムアプローチの思想と非常に近しいものがある。
そこで鍵となるのは、「変動性」という概念であり、これはまさに、時間や関係性の変化に応じて、私たち自身が変化することを示唆している。言い換えると、知性や能力、そして感情状態のような現象は、時間の経過や置かれている環境などとの関係性によって、絶えず変動しているのだ。
今日は、午前中のクネン先生とのミーティングを終え、昼食をとった後、仕事に取り掛かるまでの助走期間がいつもより長かったことに気づいた。端的には、仕事に取り掛かるための気力が即座に沸いてこなかったのである。
面白いもので、起床直後には、気力が充実しており、真っ先に仕事に取り掛かることができ、クネン先生とのミーティングの後もしばらく思考が刺激されているような状態だったのだが、ひとたび昼食をとって仮眠をとると、そこから仕事に取り掛かるまでの時間がいつもより長かったのである。
ここからも、「仕事に取り掛かる気力」という現象に着目してみると、それが波のように変動していることがわかる。変動性という概念を学ぶ以前は、気力が減退している時には、あれこれと無理やりに気力を高めるようなことを行っていたが、これは逆効果なことが多かったように思う。
今は、気力が減退していると感じた瞬間には、あえてそこに介入することなく、次の波が来ることを待てる心の余裕があるような気がする。実際に、先ほど私が行っていたのは、コーヒーを入れ、それを飲みながら、書斎の窓から見える雲の動きを何も考えずに眺めることであった。
興味深いことに、雲の何気ない動きを視線で追っていると、いつの間にか、自分の内側で仕事に向かう気力が回復していたのである。これは変動性の一例に過ぎず、実際には、変動性を含む現象が私たちの日常に無数に存在しているため、それらを観察してみるのは面白いだろう。
「複雑性と人間発達」の初回のクラスで取り上げられた論点の一つに、変動性(variability)と分散(variance)の違いに関するものがあった。これら二つは、どのような点で異なるのだろうか?統計学において、分散は、データの散らばり具合を示す指標として有名である。
実際に、発達科学の研究の中でも、当然ながら分散という概念が活用されるのだが、発達のプロセスを研究する場合、分散の取り扱いには注意しなければならない。簡単に述べると、例えば、ある何人かの人たちの発達を調査する場合に、分散が全く同じでも、変動性が異なり、発達のプロセスが異なる場合がほとんどなのだ。
分散という概念がわかりにくければ、例えば、平均という概念から考えてみると分かりやすいだろう。ある被験者が10分間の中で示すパフォーマンスを1分ごとに計測した時、それをカート・フィッシャーのレベル尺度で測定すると、「5, 6, 5, 4, 5, 5, 6, 6, 4, 4」というプロセスで変化していたとする。
仮に、パフォーマンスの変化のプロセスを無視し、伝統的な発達研究のように平均にだけ着目すると、その値は5になる。一方、他の被験者のパフォーマンスの変化を同じように計測してみたところ、「10, 2, 5, 5, 8, 1, 1, 8, 1, 9」というプロセスで変化していたとする。この平均を算出すると、これもまた5なのだ。
極端な話、両者の平均だけに着目し、二人のパフォーマンスは同じである、と結論づけるような研究姿勢を持っていたのが、既存の発達科学のアプローチであった。要するに、そこでは発達のプロセスが蔑ろにされていたのである。
両者のパフォーマンスの変動性に着目してみた場合、二人の能力の発達プロセスは、まるっきり異なった形を持っていることがわかるだろう。発達科学におけるダイナミックシステムアプローチでは、特に発達のプロセスに着目し、プロセスに対する研究手法が数多く存在しているのだ。
ここから先ほどの「仕事に取り掛かる気力」について考えてみると、面白いことがわかる。仮に、昨日の気力量と今日の気力量の平均を算出した場合、どちらもほとんど同じ値を示すと自己評価している。
だが、気力のプロセスを観察してみると、昨日と今日の気力は、全く違った形で自分の中に湧き上がっていたことがわかる。つまり、気力量の平均が同じでも、昨日の気力の波は安定的な流れを持っていたのに対し、今日の波は変動性が激しかったと言える。
プロセスという特徴を内在的に持ち合わせている発達現象を観察する際に、変動性に着目することがいかに重要かを改めて思った。