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544. 内面世界と外面世界を架橋するもの


昨日から今日にかけて、アドバイザーのサスキア・クネン先生の論文を五本ほど読んでいた。それらの論文は、実際の私の研究プロジェクトと直接的な関係はないのだが、ダイナミックシステムの理論モデルを構築するプロセスで参考にできる箇所は何かないか、という点について、間接的に大きなヒントを示してくれたように思う。

改めてクネン先生の論文を読んでみると、実は、先生が本当に専門としているのは、アイデンティティの発達現象であり、今の私の関心事項と完全に合致するわけではないのだ。もちろん、先生と私には共通の関心があり、それは、発達現象にダイナミックシステムアプローチを適用することである。

ダイナミックシステムアプローチを適用する現象が違えど、その方法論に関する関心が合致しているがゆえに、クネン先生にアドバイザーになってもらう依頼をしたのである。ダイナミックシステムアプローチの黎明期からこの分野を探究しているクネン先生の存在は、私にとって非常に大きいものであり、関心分野が完全に合致しているわけではないながらも、どうしても直接師事したかったのである。

発達科学の世界で「フローニンゲン学派」を確立したポール・ヴァン・ギアートと共に、長きにわたってこの領域を探究し続けている姿には感銘を受ける。果たして、同じようなことが自分にできるのだろうか、と自問せざるをえないほどに、長大な時間をかけながら、一つの領域に取り組み続けることは尊いことなのだと思う。

研究論文という作品を、外側の世界に向けて表現し続けていくことは、研究者にとって何より重要なのだろう。内側の世界を表現し、それを外側の世界に形として残すことが、どれほど大事なことなのかを、まさに先ほど考えていた。

自分の内側のものを、外側に刻み込まなければ、内面世界の成熟はもたらされないのではないか、とすら思っていたのだ。これはある一定の真実を含んでいるように思える。

知識体系にせよ技術体系にせよ、内側から外側へ表現することがどれほど重要なのかを、私は少し見過ごしていたようなのだ。内側のものを外側へ形として刻み込むことを、「実践」と呼ぶのかもしれない。

私たちの内面世界の成熟は、何やら、自分の内側のものを何らかの形として、外側へ表現することの中でしか進んでいかないのではないか、と思う。ここで私が注目をしていたのは、内面世界の深まりは、紛れもなく外側の世界とつながっている、ということである。

内側のものを内側で保持しているだけでは、内面世界の成熟が一向に進まないのである。それを外側の世界に形として刻み込んでいくことでしか、内面世界の深まりはもたらされないのではないだろか。

どうやら、私たちの内面世界というのは、外側に刻み込まれた自身の表現物を道しるべとして、深みへの歩みを進めているようなのだ。内面世界と外面世界のこのような関係は、不可思議でありながらも、大変興味深いものではないだろうか。

内側の世界と外側の世界がこのような繋がりをを持っていることに気づけたことは、私にとって喜ばしいことであった。内面世界のものを外面世界へ表現し続けていくことが、探究者に課せられた一つの重要なあり方なのだろう。

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