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540. 内面世界の景観を開くもの


「ユーフラテスの流れの景観が開けてくるのは、歩みにつれてである」ヘロドトス

「複雑性と人間発達」というコースの振り返りがなかなか終わらない。初回のクラスで理論的に扱った内容は、それほど多くはないのだが、一つ一つの概念を自分の存在を通過させながら理解をしていこうとすると、振り返りに相当な時間を要する。

しかし、こうした振り返りを蔑ろにしていては、自分の内側で深まるものは一切ないだろう。また、その日一日が自己の軌跡を辿ることができないほどの低密度なものであれば、それは真の意味でその日を生きていなかったことを如実に示すものだと思う。

自分にとって、その日を真の意味で生き抜き、内側の歩みを確実に一歩でも進めていくことは何にも増して重要なのである。ある一歩から、次の一歩へ移行する自分の姿を観察するとき、ダイナミックシステムアプローチで重要とされる「反復性」と「非線形性」という概念が思い浮かんだ。

「反復性」というのは、動的なシステムである私たちの知性や能力は、必ずある状態が存在することによって、次の状態へ至ることを示す言葉である。知性や能力で考えることが難しければ、アイデンティティを例に取ってみると、今日の自分のアイデンティティは、昨日のアイデンティティに基づいて構成されているものであり、昨日のアイデンティティは、一昨日のアイデンティティに基づいて構成されている、と言えるだろう。

まさに、私たちのアイデンティティは、一つの状態から次の状態に移行するという、反復的な積み重ねによって発達していくのである。こうした積み重ねこそが「発達のプロセス」なのだ。

これまでの発達研究では、発達現象の最初の状態と最後の状態を比較することに留まるものがほとんであり、それは発達のプロセスを蔑ろにしていることが一目瞭然だと思う。毎日文章を書くことによって、自分の一歩一歩の足取りを確認しようとしているのは、プロセスとしての自分の歩みを尊重し、その歩みをより確固たるものにしていくためなのかもしれない。

今日という日を振り返りながら文章を書くとき、昨日存在しなかった一歩が、確かに今日という日に生み出されていたことを知る。これは、プロセスとしての人間である私を大いに励ますものである。

そして、日単位でのプロセスを眺めてみると、そこに「非線形性」が生じているのがわかる。「非線形性」というのは、ある要因が、他の要因やシステム全体に及ぼす影響が一定ではなく、変化に富むということを意味する。

一日一日を比較してみると、自分の歩みが一定ではなく、様々な要因による影響を受けながら紆余曲折しているのがわかる。まさに人間の成長は、反復性と非線形性の賜物なのだと理解することができる。

日々の文章は、自分の一歩一歩の歩みを教えてくれるだけではなく、その一歩一歩がどのような紆余曲折を経たものであったのかも教えてくれるのだ。内面世界の景観を開いていくためには、日々の足取りと紆余曲折を噛み締めながら、とにかく歩み続けなければならない。

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