エッシャー美術館を後にした私は、最後にどうしても足を運んでおきたい場所に向かって歩き始めていた。それは、デン・ハーグに本部を置く国際司法裁判所だった。
国際司法裁判所の存在を始めて知ったのは、小学校高学年の時である。社会科の時間に、何気なく資料集のページをめくっていた時に目に飛び込んできたのが、デン・ハーグにある国際司法裁判所の写真だったのだ。
その時の情景は、実に鮮明な記憶として私の頭の中に残っている。小学校の半ばあたりから、法曹を志していた私にとって、「国際司法裁判所」という名前とその写真が醸し出す何とも言えない魅力に取り憑かれていたのだ。
当時の私は、国際司法裁判所がこの国際社会で果たす役割を正確に把握していたとは到底思えないが、「とにかく、自分は将来ここで働いているのだ」という根拠のない確信に包まれながら、社会の資料集を眺めていたことを思い出す。
それから20年弱の月日が経った。国際司法裁判所の判事ではなく、知性発達科学者として、今この瞬間にデン・ハーグの街にいることが、不思議で仕方なかった。
大通りの運河沿いを歩きながら、国際司法裁判所に向かっている途中で、鮮やかな夕焼けを発見した。それはまるで、ホログラム映像のような夕焼けであった。小学生の頃のあの時の私は、この美しい夕焼けを見ることを知っていたのだろうか。
おそらく、知るすべはないだろう。しかしながら、あの時の私は、将来の自分が必ずこの地に来ることを知っていたであろう。そのようなことを考えていると、今私の眼の前で鮮やかな美しさを放っている夕焼けは、現在の私の眼を通して眺められているものではなく、幼少時代のあの時の自分の眼を通して眺められているかのような感覚に陥ったのだ。
国際司法裁判所に一歩一歩近づいていくに従って、自分の内側の感覚が一歩一歩、幼少時代の自分の感覚に近づいていくのがわかった。国際司法裁判所の姿が見えた時、冬のデン・ハーグの空の下で、私は息を呑み、その場で立ち止まらざるを得なかった。
これは、国際司法裁判所が放っている威厳さに触れたというよりも、幼少時代の私がこの地に張った結界の境界線に触れた感覚だったのだ。結界の境界線を確認し、そこから結界の中へ一歩一歩足を進めていった。
その一歩一歩の中に、この20年間で経験してきたことの全てが内包されているかのようであった。国際司法裁判所へ近づいていく一歩一歩を通じて、私は20年間の自分の内側の進歩を確かに感じ取り、同時に、変わらないものを確認するかのようであった。
国際司法裁判所の左手に、大きな時計塔が見えた。時計塔の上に広がる雲ひとつないデン・ハーグの夕焼け空に、一筋の飛行機雲が走っているのを確認した。時計塔に掲げられた時計の針が巻き戻り、私は超越的な時間感覚に引き込まれていった。
同時に、飛行機雲のシンボルが、超越的な空間感覚を私の中に生み出しているようであった。しかし、そうした超越的な時空感覚の中、私の存在は紛れもなく、今この瞬間の時空間内に定位していることをありありと感じていた。
真に時空を超越するというのは、実は今この瞬間の時空と一体化することなのではないかと思わされた。そのような超越的な感覚に包まれたまま、私は何も考えることもなく、ただただ国際司法裁判所を眺めていた。