デン・ハーグ中央駅から、まずはデン・ハーグにある最も有名な美術館と呼んでも過言ではないであろう「マウリッツハイス美術館」に向かって歩き出した。デン・ハーグの街を歩いてみてすぐに気づいたのは、フローニンゲンの街とはこれまた一風変わったものが息吹いている、ということであった。
デン・ハーグという街は、フローニンゲンの街とは違う美しさを身にまとっていることがわかったのである。私は都市開発に関する知見をほとんど持っていないため、デン・ハーグのように、政治的な機能のみならず、経済的な機能を持ちながらも、経済原理に埋没することなく、街の美しさをこれほどまでに保っていられるのは、非常に不思議であった。
時間の都合上、デン・ハーグの街を隅から隅まで見て回ったわけではないため、おそらく、現代社会の経済原理に汚染された箇所もこの街にはあると思う。だが、この街に流れる時間の感覚質は、現代社会の経済原理にまだ汚染されておらず、それは街の景観美に不可欠な目には見えない要素として確かに存在していたのである。
そのようなことを思いながら、帰りの列車の時間までに残された時間は八時間弱と限られたものであったため、デン・ハーグの街並みを堪能しながらも、少し足早にマウリッツハイス美術館へと向かった。デン・ハーグの中心に位置するこの美術館の正面玄関が見えた時、その脇には、この美術館が特に大切に所蔵している、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」という作品が掲載された看板が見えた。
その看板を見た瞬間、昨年、実家に帰省していた時に聞いた母の話をふと思い出した。なにやら、日本でフェルメールが世に広く知られるようになる随分と前に、母はフェルメールの作品に惹かれるものがあったらしく、当時の自宅にフェルメールのポスターを飾っていたそうである。
その絵に関する記憶は私の中にはないのだが、もしかしたら、三十年近くも前に自分が見ていたであろう作品を、実物で見る日が来るとは思ってもみなかったのである。三十年という長い月日を経ての邂逅に期待をしつつ、美術館に足を踏み入れたのであった。
受付でチケットを購入する際に、館内の巡り方に関して、受付の方に助言を求めた。その助言通りに、まずは企画展をじっくり見て回り、その後、この美術館が誇る常設展に足を運んだ。とても落ち着いた雰囲気の中、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」や「デルフトの眺望」、そしてレンブラントの数々の作品を見て回ったことが、鮮明に記憶に残っている。
「デルフトの眺望」の実物を見て初めて気づいたのだが、この作品の中で表現されている光の当て方は実に巧みであり、光が当てられている箇所とそうではない箇所に気づいた瞬間に、そこにデルフトの街が持つ固有の時間質が体現されているように思えたのだ。
つまり、フェルメールが描いたのは、デルフトの街の物理的な眺めだけではなく、その街が固有に持つ時間の流れすらも表現していることに気づかされたのだ。「デルフトの眺望」という作品は、同じ部屋に飾られていた「真珠の耳飾りの少女」よりも、不思議な力を放っていたのであった。
絵画作品の中に、時間の感覚質が宿っていることに気づかされたのは、初めてであったし、何よりも、そこで表現されている時間の流れに自分が引き込まれていった現象には驚かされた。絵画作品を見て、時の感覚を失うというのは、このように、時間の感覚質を見事に表現した作品が持っている共通の性質なのかもしれない。
印象に残っている作品を挙げればきりがないのだが、もう一つだけ挙げるとするならば、それは、ピーター・ルーベンスとヤン・ブリューゲルの共同作品「エデンの園と人類の堕落」だろう。表現されているモチーフやそこに込められた意味に関しても、興味深い作品だったのだが、この作品が二人の偉大な画家の共同作品であることに驚かされたのだ。
作者の名前を確認することなく、作品を眺めており、途中から音声ガイドの解説を聞いた時に、この作品が二人の共同で創られたものだということを知ったのだ。ルーベンスとブリューゲルが、お互いの画家としての技術を共有し合いながら、優れた作品を世に生み出したことに対して、なぜだか励まされるものがあったのである。
知性発達科学に関する研究者として、二人の作品のように、他の研究者と共同して、時空を超えた普遍性を宿す作品を生み出す日が来るのであろうか、ということに思いを馳せていたのである。マウリッツハイス美術館を後にした時、静かに自己の内側の深くへ入っていく、あの感覚に包まれていたのであった。