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520. 誤解多きシステム思考について


今日もとても寒い一日であった。先日、洗面台の鏡を通して自分の姿を見ると、オランダに来てから自分の髪の毛が伸びる速度が速くなったように思った。そのため、今日はフローニンゲンの街の中心部に髪を切りに行った。

フローニンゲンの街の中で、日本人の髪を上手く切れる美容師がいて本当に助かっている。わざわざ片道二時間半をかけて、ロッテルダムやアムステルダムに行かなくて済むのは喜ばしいことである。

前回担当してもらったロダニムという美容師の腕は確かであるため、今日も彼に髪を切ってもらった。これまでの海外生活では、必ず日本人の美容師の方にお願いをしていたため、前回ロダニムにお願いをするときは、多少の不安があったのは間違いない。

しかし、前回の彼の仕事に大変満足していたため、今回は一切の不安もなく、信頼を持ってお願いすることができた。ロダニムと終始和やかな会話を楽しみ、今回も満足のいく仕上がりになった。

自分の髪の毛の伸びる速度を考えると、やはり四週間に一回のペースでロダニムのところへ足を運ぶ必要がありそうだ。髪の毛を切ったことにより、外の寒さがより増したように思えたが、明後日は天気が良くなるそうなので、デン・ハーグへ訪れようと思う。

帰宅後、引き続き、システムダイナミクスとダイナミックシステムアプローチに関する論文や書籍に目を通していた。以前紹介したように、両者はシステム理論を母体にしているため、共通点が多い。

しかし、両者の関連書籍を眺めていると、二つの言語体系は似ていながらも、やはり明確な違いがあるように思ったのだ。その違いはどこか、オランダ語とドイツ語の違いに似ていると言えるかもしれない。二つの言語に馴染みがない場合、一見すると、両者はとても似たような姿をしているように思える。

しかし、それらの言語を学習することによって、オランダ語とドイツ語の間には、明確な違いがあることに気づいていくような感覚である。今の私はオランダ語という自然言語に加え、システムダイナミクスとダイナミックシステムアプローチという二つの言語体系についても習熟するように励んでいる。

「システム」に関する探究をしていく中で、巷で言われている「システム思考」という言葉は、つくづく誤解を招きやすいものだと思う。システムダイナミクスの提唱者であるジェイ・フォレスターは、「システム思考とは、システムという現象を学習する際の5%にも満たない要素である」と明確に述べている。

彼の言葉はつまり、「システム思考」に習熟したからといって、システムの挙動を適切に捉えられるわけではなく、システム思考は、システムにアプローチをするための極わずかな要素でしかない、ということを意味している。

往々にして、世間で言われている「システム思考」とは、システムの特徴を分類したり、システムの構成要素を列挙し、それらの関係性を考えることだけで終わってしまいがちである——もちろん、これをするかしないかの違いは大きいのだが。

フォレスターのシステムダイナミクスにせよ、ダイナミックシステムアプローチにせよ、その肝はまさに、システム思考を用いて、システムのモデル化を行った後に、そのモデルを通じたコンピューターシミレーションを実行することにあるのだ。

より厳密には、シミレーションを実行し、現実とモデルとの乖離を調べ、再びモデルを洗練化させていくというシミレーションを通じて、自身のメンタルモデルを絶えず書き換えていく実践が肝にある。シミレーション結果と現実の乖離を発見し、自分のメンタルモデルを書き換えていくことによって、システム思考が徐々に高度なものになっていくのだ。

「システム思考」関連の書籍をいくら読んでも、一向にシステム思考の力が高まらないのは、このような実践が圧倒的に不足しているからだと思う。皮肉なことに、世に言うシステム思考は、システムを構成する要素間のフィードバックループを捉えることに重点を置いているのだが、システム思考を用いる当人の頭の中では、その思考を鍛錬するようなフィードバックループが、うまく回っていないことが多いことに気づく。

それはなぜなら、システムダイナミクスやダイナミックシステムアプローチが本来持っている肝である「シミレーションを通じたメンタルモデルの書き換え」という実践が欠如しているからである。この点については、自分も肝に銘じ、研究や実務の中でコンピューターシミレーションを駆使していきたいと思う。そうすることでしか、システム思考という思考力が向上することはないだろう。

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