人間の知性や能力を多様な要素の相互作用で構成された複雑なシステムと見立てる、というのは、ダイナミックシステム理論をもとにした発想の根幹にあるものだと思う。こうした発想は、過去の発達科学の見立てとは趣が異なるため、ダイナミックシステムアプローチは、知性や能力の複雑な発達プロセスを分析することだけではなく、知性や能力を育む手法を開発することにも有益な洞察を提供してくれると思う。
特に、知性や能力を構成する多様な要素(要因)が何であり、それらがどのような相互作用を行っているのかを考える際に、このアプローチは力を発揮する。要素を特定し、要素間の関係性が明瞭になれば、必要に応じて、成長のドライバーとなる要因に介入したり、機能不全に陥っている要因に介入することなどが可能になるだろう。
機能不全に陥っている要因を発見し、それに対して治癒的なアプローチを採用することは、それほど異論がないように思う。しかし、成長支援に携わる際に、実務的にも倫理的にも悩ましいのは、成長のドライバーに介入する度合いについてである。
介入の意思決定に際して、悩ましいケースは、そのシステムが全体としてすでに健全に作動している場合である。要するに、仮に成長のドライバーを特定できたとしても、そこに下手に介入の手を加えてしまうと、システム全体の動きがぎこちないものになってしまうケースがあるのだ。
今日の午後、マービン・ミンスキーの書籍を読んでいて参考になったのは、「正常に機能しているシステムに変化を与えることは常に危険性が伴う」というミンスキーの指摘であった。ビジネスの領域にせよスポーツの領域にせよ、さらには教育の領域にせよ、そこでは「能力開発」という言葉は、非常に大きな意味を持っていることは確かだろう。
つまり、それらの領域で活動していくためには、能力を開発していくという事象を避けることはできないのだ。しかしながら、ここで注意をしなければいけないのは、ミンスキーの指摘にあるように、むやみやたらに能力開発を遂行していくことの危険性である。
仮に成長ドライバーを特定することができたとしても、そこだけに働きかけてしまうことによって、その成長ドライバーと相互作用を行っていた他の要因に変調をきたす可能性が出てくるかもしれない。結果として、システム全体が機能不全に陥ってしまう危険性もあるのだ。
そうした様子はさながら、回っている扇風機にむやみに手を突っ込み、扇風機自体を破壊してしまうようなものである。近年の知性発達科学の考え方では、私たちの知性や能力を生態系として捉えている。
ここで無理に、生態系を開発しようとするのは、単なる乱開発に該当するように思うのだ。乱開発の結果、待ち受けているものは、知性や能力という生態系の破壊である。そして、個人の知性や能力という生態系が破壊されてしまうことは、組織という生態系の崩壊や、社会というさらに大きな生態系の崩壊を招いてしまうことにもなり兼ねない。
一つの国家として、あるいは一つの組織として、個人の知性や能力を開発していくというのは、非常にデリケートな課題だとつくづく思う。