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500. 知性や能力の開発について


非常に穏やかな雰囲気が漂う月曜日の朝。休日から平日に移行したにもかかわらず、フローニンゲンの街は、いつもと変わらない穏やかな時間が流れている。

休日と比べると、自宅の目の前にあるメインストリートを行き交う通行人の数は増えている。それでも、彼らの姿から慌ただしさを感じることもなく、この国の休日と平日は、非常に滑らかなつながりを持っていることに気づく。

今朝起床してみると、やはり日の出の時間が一時間ほど早くなっている。もしかすると、と思い欧州のサマータイムについて確認してみると、10月の最後の日曜日をもって、サマータイムが終了したことを知った。日本との時差が七時間から八時間に開いてしまったようだ。

明日に控えた「タレントディベロップメントと創造性の発達」コースの最終試験に向けて、その準備にも目処が立ったところで、ノーダープラントソン公園へランニングに出かけた。晴れた日の午前中に、この公園内を走ることは、特に清々しく、自分の心身を爽快にしてくれる。

ランニングの最中、何気なく通り過ぎる他のランナーのフォームを観察していた。観察をしてみると、各人固有のフォームで走っていることに改めて気づいた。それは当たり前かもしれないのだが、人の顔が千差万別であるのと同様に、ランニングフォームも千差万別なのだ。

そして重要なのは、各人に最適なフォームというのが実は存在しており、自分も含めて、多くの人はそれを知り得ていないのではないのか、と思った。私の身体構造に合致したフォームが、必ず存在しているはずであるし、今よりも効率的な走りを実現するためのフォームの型というのも存在しているはずなのだ。

ただし、今の私は専門のトレーナーをつけているわけではないので、それがどういったものなのかを知る余地はない。つまり、今の私は、走ることに関して専門的な知識を持っていないため、自分にあった走り方を獲得することができていない状況にあるのだ。

これは、多くの人にも当てはまることではないだろうか。そして、走ることの範疇を超えて、私たちの知性や他の能力を開発することに関しても、同様のことがいえるのではないかと思うのだ。

知性や能力を育んでいく際に、当然ながら、その人の属人的特性(性格、マインドセット、感情との向き合い方など)を考慮に入れることが大切になる。同時に重要なのは、発達科学の研究のおかげもあり、知性や能力が高度化するプロセスやメカニズムに関して、多くのことがわかってきているため、そうした知識を巧く活用することである。

現在、実証研究の末に明らかになった発達のプロセスやメカニズムをもとに、その人の属人的特性を考慮した支援手法やトレーニングプログラムを構築することが可能になってきているのは確かであろう。実際に、私がマサチューセッツ州のレクティカという組織にいた時には、構造的発達心理学の枠組みに基づいた、成長支援プログラムが開発されていたのを目の当たりにしてきた。

まさに、そうしたプログラムを享受することができる者とできない者との間には、知性や能力に関して大きな溝が生まれる時代になってきているように感じる。専門家の指導に基づいて、トレーニングに打ち込むランナーと、私のように我流で走っている者との間には、雲泥の差が生まれてしまうのと同じような構図が、知性や能力を開発することに関して見受けられるのだ。

そして、知性や能力の発達に関する研究が進めば進むだけ、その知見を取り入れようとする者とそうでない者との間に、埋められないような差が生まれてしまう社会状況になっていることをひしひしと感じている。発達科学が進歩すればするほど、知性や能力の発達に関して格差が生じてしまうことは、非常に難しい問題だと思う。

発達科学が生み出した問題は、当該分野の知見からでは解決が不可能であると思われるため、他の科学分野や哲学の知見が不可欠となるだろう。自分の仕事が発達科学の範疇から踏み出しているのも、そうした懸念と関心があるからに違いない。2016/10/30

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