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495. タレントアセスメントについて


「タレントディベロップメントと創造性の発達」のコースの第六回目は、私たちが発揮する創造性や卓越性をいかに測定していくかがテーマであった。構造的発達心理学を学び始めて以降、私の主要な関心テーマは、人間の知性や能力の構造的な質的差異(レベル)を測定することにあるため、このクラスの内容は印象に残っている。

知性や能力にせよ、主観的な現象を正確にアセスメントするというのは実に難しい。一つには、測定したいものが何なのかを明確にし、測定したいものを映し出す適切な手法を選ぶことが難しいのだ。

例えば、内面的成熟度合いを測定する際に、果たしてロバート・キーガンの「主体・客体インタビュー」は、それを正しく映し出す手法なのかを吟味する必要があるだろう。その他にも、カレン・キッチナーとパトリシア・キングが提唱した「内省的判断力インタビュー」という測定手法が、果たして私たちの内省能力を正確に映し出しているのかを吟味する必要がある。

これは、人間の知性や能力を測定する際に、真っ先に検討されるべき問題である。実は、それ以上に悩ましい問題は、私たちの知性や能力が文脈やタスクに応じて動的に変動するという点と関係している。つまり、内省能力を一つ取ってみても、それは文脈やタスクに応じて、発揮される能力水準(レベル)が複雑に変動するのだ。

構造的発達心理学におけるアセスメントには、これらの二つの問題が代表的なものとして挙げられる。そして、これらの問題は、教育の世界における学力測定にも当てはまる話だろし、企業社会における人材選抜や人材評価にも当てはまる話だろう。

そのような問題意識を持ってクラスに臨んだのを覚えている。その時のクラスでは、いくつか面白い論点が扱われた。一つには、「サイン」と「サンプル」のどちらが正確に、生徒の将来の学業パフォーマンスを予測するのに適しているのか、企業人の将来の職務パフォーマンスを予測するのに適しているのか、という論点である。

オランダ語を学習する際に、新たな語彙を学んでいく必要があるのと同時に、心理統計学を学習する際にも、新たな語彙を学んでいく必要がある。ここで述べている「サイン」とは、言語学で言うところの「記号(シンボル)」のようなものではなく、個人の性格や性向などを指す。さらには、IQや言語能力のようなものまでも含まれており、インテグラル理論に馴染みがあれば、個人の内面領域を扱う左上象限に焦点を当てた評価項目のことを「サイン」と呼ぶ、と捉えると良いかもしれない。

一方、「サンプル」というのは、統計学における「標本」を表すものではなく、特定のタスクに対して発揮される行動やパフォーマンスのことを指す。インテグラル理論の観点からは、個人の外面領域を扱う右上象限に焦点を当てた評価項目のことを「サンプル」と呼ぶ、と捉えていいだろう。

この議論になった時、クラスを担当した講師が彼女自身の面白い調査結果を紹介してくれた。この講師の専門分野は、高等教育において、いかに生徒の学業パフォーマンスを予測していくかにある。米国では近々、大学入学に必須であるSATの改定が行われる。

SATは、たびたび教育関係者から批判の的になっており、一つにはこのテストが、大学での学業パフォーマンスを正確に表すものではない、という批判である。実際に、SATにはIQに関係するような問題も混入しており、そうした「サイン」が、果たして大学という特定の文脈において発揮する学業パフォーマンスをどれだけ予測することにつながっているのか、ということを指摘した批判なのだと思う。

オランダにも大学入学に際して、言語力・数学力などを測る試験がある。その講師が行った実証研究で明らかになったのは、その試験でいかに高得点を挙げていたとしても、実際に大学に入学して発揮される学業パフォーマンスを正確に映し出していない、ということであった。

そこで彼女が採用した手法は、「トライアルスタディアプローチ」と呼ばれる。このアプローチを簡単に述べると、「サイン」に焦点を当てた一般的な学力試験ではなく、具体的な文脈における具体的なタスクに対して発揮されるパフォーマンスを測定するという、「サンプル」に着目した測定アプローチである。

彼女の実験の中では、例えば、心理学を専攻したいと志す、大学に入学したての学生に、心理学の初級コースと似た内容のコースを試験的に受講させ、そこでのパフォーマンスを測定するというものである。その結果明らかになったのは、個人の性格や知能指数のような「サイン」に焦点を当てた測定手法は、それらの大学生の学業パフォーマンスをそれほど正確に予測することはできないということであった。

さらに、実際の心理学のコースに似たようなプログラムで発揮されたパフォーマンスに焦点を当てた測定手法は、より正確に彼らの学業パフォーマンスを予測していたのである。実際には、その仮想コースで発揮されたパフォーマンスは、そっくりそのまま、それらの学生の四年間の学業パフォーマンスを映し出していたのである。

「サンプル」に着目した測定手法の方が予測度合いが高かった理由としては、文脈を設定せずに漠然とその人の性格や知能指数を測定するのではなく、具体的な文脈において発揮されるその人の性格や能力を考慮していることが大きいだろう。

モチベーションを一つ取ってみても、すべての事柄に対して意欲的に取り組める人などこの世にいないはずであり、それを具体的な文脈の中で評価していくということは極めて大事である。往々にして、「サイン」に着目をするアプローチは、具体的な文脈やタスクと切り離した形で、性格や能力を測定することに問題があるように思う。一方、「サンプル」に着目をするアプローチは、具体的な文脈やタスクを通じて発揮される性格や能力を踏まえ、そこでのパフォーマンスを評価することに大きな特徴があると思う。

このようなことに考えを巡らせていると、ふと五年前にサンフランシスコの映画館で観た「マネーボール」という映画を思い出した。ブラッド・ピット主演のこの映画は、メジャーリーグの弱小球団が、実際の試合で発揮されたパフォーマンスを定量化し、そのデータを用いながら選手の選抜を行い、チームを勝利に導いていく、という実話に基づいたストーリーである。

この映画が示唆するのは、選手を印象で選抜するのではなく、実際のパフォーマンスデータから選ぶことの重要性である。それはまさに、「サインアプローチ」ではなく、「サンプルアプローチ」の重要性を示唆していたことに他ならない、ということに気づいたのだ。

サンプルアプローチを開発・導入するためには、様々な課題を乗り越えていく必要があるが、具体的な文脈の中の具体的なタスクを通じて発揮される実際のパフォーマンスに焦点を当てるというのは、パフォーマンスの予測に資するものであり、人間の知性や能力の本質とも合致したものだと思う。

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