昨日は、「タレントディベロップメントと創造性の発達」というコースの最終試験に向けて、一日中書斎にこもって集中的な読書を行っていた。この数年間において、実験的に、自分が一日何時間ぐらい書籍や論文を読み続けていられるのかを計測していたことがある。
その実験から、自分が一日の中で、最大どれだけの時間を読書に充てることができるのかを把握しているつもりであった。しかしながら、昨日は、ついつい自分をうまくコントロールすることができず、その最大値を超えるような読書を行ってしまったようである。
夜のある時間帯に差し掛かると、これ以上読書を続けると発狂しかねない境目があることに気づいた。この境目がひとたび見えてしまうと、翌朝目覚めるまでに、少なくとも10時間近い睡眠時間(回復時間)を要することがわかった。
そうした境界線に近づくにつれ、自分の内側では確かに警告サインのようなものが徐々に強く現れてくるので、それを見逃さないようにする必要があるだろう。ときに衝動的な投入量があってもいいと思うが、自分にとってそれよりも重要なのは、兎にも角にも継続性であることに違いはない。
今日はいよいよ、「タレントディベロップメントと創造性の発達」というコースの最後のクラスがあった。今日のクラスでは、これまでの六回分のクラスを振り返り、再度このコースで取り上げた重要な理論や実証研究を確認することができた。振り返りも兼ねて、文章を分ける形で、このコースから得られた知見を自分なりの言葉に変換して書き留めておきたい。
最初の項目は、卓越性を捉える二つの異なるアプローチについてである。一つ目のアプローチは「規範的アプローチ(normative approach)」と呼ばれるものである。これは、ある個人の卓越性を他者との比較によって評価するアプローチである。
一方、もう一つのアプローチは「イプサティブアプローチ(ipsative approach)」と呼ばれる。これは聞きなれない言葉だと思うが、「ipse」という接頭語は、ラテン語で「自己」を意味する。すなわち、イプサティブアプローチというのは、他者との比較ではなく、自己比較をする形で卓越性を捉えていくことを意味する。
例えば、最初のクラスで二つの動画が取り上げられたのだが、一つ目の動画は、とても小さな男の子が見事なピアノの演奏をしているものであった。彼と同い年ぐらいの子供が、このような演奏をすることは極めて難しいということから、他の子供と比較するという規範的アプローチの観点から、この男の子はピアノの演奏に関して卓越していると言える。
さらに、この男の子は練習によって演奏技術をさらに高めていることも確かであり、過去の自分と比較するというイプサティブアプローチの観点からも徐々に卓越性を開発していると言える。一方、もう一つの動画は、能力的には至って普通の男の子が、教師の問いかけによって徐々にある現象の理解を深めていくことを示すものであった。
この男の子は、他の子供との比較という観点から考えると、つまり、規範的アプローチの観点から考えると、卓越しているとは言えない。しかし、教師の問いかけによって、ある現象の理解に対して洞察をどんどん深めていったことから、イプサティブアプローチの観点からすると、この男の子の中にある卓越性が見られることになる。
往々にして、何かに秀でるという意味を表す「卓越性」という言葉は、他者比較の視点を強調しかねない。他者比較から漏れてしまうような卓越性を逃さないためには、イプサティブアプローチの観点が重要であることを認識しておく必要があるだろう。そのようなことを改めて思わされた。2016/10/26