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485. 知識体系の構築


今日は一日中、「タレントディベロップメントと創造性の発達」というコースの最終試験に向けて、課題図書をもう一度全て読み返すことを行っていた。その分量が膨大であるため、七回のクラスのうち、最初の二回分のクラスの課題図書をほぼ一日かけて再度読み返していた。

一読目の特に、著者が最も主張したいことや重要な論点を大体把握していたため、二読目の時に得られたのは、関連する細かな知識ぐらいしかなかったように思う。この最終試験において、細かな知識が問われることはないとのことであるが、主要な論点に紐づく関連知識を蔑ろにせず、自分の回答を肉付けすることにそれらの知識を役立てたいと思う。

フローニンゲン大学は二学期制を採用しており、さらに一つの学期が二つのブロックに分かれているため、一年間で合計四つのブロックが存在することになる。各々のブロックの終わりには、試験週間が設けられており、さらにその翌週には追試週間まで律儀に設けられている。

先日、学部からフローニンゲン大学に在籍している友人のエスターに話を聞いてみると、追試とは一回目の試験で成績が悪かった者だけが受けるのではなく、一回目の結果に満足いかなければ誰でも追試を受けられるそうだ。また、追試を受けた場合は、一回目の試験の結果は無効になり、追試の結果が自動的に最終成績に反映されるらしい。

私はその他にも仕事を抱えているため、なんとか一回目の試験で満足のいく結果が得られるように入念な準備をしておこうと思う。大学で筆記試験を受けるのは久しぶりなので、試験に向かうまでの過程が新鮮であり、実際の試験が非常に楽しみである。

今日は天気に恵まれ、最高気温も10度を越していたため、外出に適した日であった。ところが、今日は集中的に課題図書を読み返すことに専念したかったため、一歩も外に出ることなく今日という日を終えそうである。平日木曜日のランチ前は運動の時間と決めているため、木曜日も今日と同じような暖かい晴れの日であることを願うばかりである。

今日の復習内容を振り返ってみて、新たな発見がそれほどなかったことが気になっている。読書から得られる内容というのは、間違いなく自分の変化に応じて変わっていくものであるため、今日の復習からそれほど新しい内容を得ることができなかったのは、一読目から二読目にかけて、自分の内側でそれほど大きな変化が生じなかったことを暗示しているように思われた。

やはり、一読目から二読目にかけて時間がそれほど経っていないということもあってか、このような短期間では、人間の内面領域はそれほど大きく変化しないことを改めて実感させられる。同時に、一読目ですでに得られた知識内容を元に構築した自分の知識体系と二読目で得られた知識内容を元に構築した自分の知識体系は、質的にほとんど変わらないことにも驚かされる。

以前、マサチューセッツ州のレクティカという研究機関で働いていた時に、知識体系のレベルを測定するアセスメントを、時間間隔をそれほど開けずに受けたことがある。結果は大変興味深く、知識体系のレベルにはほとんど変化が見られなかったのである。

ここからもわかるように、知識体系を質的に一段高度なものにしていくことは、短期間の間で成し遂げられるものではない、ということに気づく。しかしながら、レクティカがハーバード大学教育大学院の学生を対象にした研究で明らかになったのは、獲得した知識を絶えず組み合わせることを意識し、得られた知識を元に自分なりの意味体系を作る訓練を実施すれば、一つのコースを受講する前と後という数ヶ月ぐらいの比較的短い時間の中でも、知識体系が質的に高度化されることが判明したのである。

レクティカ在籍中にそうした研究を見ていたにもかかわらず、今になるまでこの実証結果を失念していたことに我ながら驚く。全七回のクラスの課題図書を読み返した後は、得られた知識を組み合わせながら、自分の言葉で意味体系を作る、という知識の活用を志した実践を行う必要があるだろう。2016/10/25

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