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474. 言葉の深層世界に飲み込まれて


本日、無事にオランダ語の初級コースを終えた。案の定、先日受けた最終試験の結果が返ってきた。英語で言う倒置構文に関して、作り方を間違って記憶しており、その箇所はもう一度見直しておく必要があるだろう。

答案の返却と同時に、このコースの修了証書を授与され、一ヶ月前の自分と比較してみると、オランダ語に関して大きな進歩が自分に見られるのは喜ばしいことである。正直なところ、なぜオランダ語を学習しているのか自分でも定かではないことがある。

時折、普遍語である英語や母国語の日本語をより開拓していくべきなのではないか、という思いがむくむくと湧き上がってくるのだが、なぜだかオランダ語を少しずつでもいいので、学び続けていこうという思いがあるのだ。

確かに、私はオランダ語で構築された精神空間を尊重しているのだが、そうした尊重の思いが自分の学習を継続させている最大の要因ではないことを知っている。やはりそこには、異なる言語を習得することによってしか開けない多様な自己の側面を捉えたい、という想いがあるように思う。

他言語を学習してみると、人間の内面世界が持つ未知なる領域の広さと深さにただただ驚かされるばかりである。内面世界の様子はさながら、言語の種類によって、異なる種類の内面領域が開かれ、それらの言語の習熟度合いによって、異なる深さの内面領域が立ち現われてくる、というような絵になっている。

そして、言語学者のノーム・チョムスキーが指摘したような普遍文法と少し似ているかもしれないが、私たちの言語世界の底は共通しているような印象を私は持っている。これは言語を習得する能力について述べているわけではなく、言葉を生み出す空間がどこかで繋がっているというようなニュアンスである。

もしかすると、これが井筒俊彦先生が述べていた「言語アラヤ識」と呼ばれるものの正体なのかもしれない。これは米国で生活を始めた時の感覚に似ているが、オランダ語を学べば学ぶほど、学習プロセスのどこかで必ず、覚醒状態のまま無意識の世界に投げ込まれるような体験をすることがある。

数年前の私であれば、この現象を単に「言語感覚の麻痺」と認識していたのだが、最近そのような言葉を当てることは正しくないと考えるようになった。言語感覚が麻痺をしているために、言葉を極度に客体化させているのではなく、言葉を生み出す基底部分と自分が接触しているがゆえに、生成されてくる全ての言葉を眺めているような不思議な感覚に見舞われていたのだ、と了解した。

初めてこの体験をした時は、言葉を生み出す舵を自分が握っているのではなく、言語空間の基底部分に握られていたため、覚醒状態なのに自分で自覚的に言葉を生み出すことができないことにひどく当惑をしていた。

つまり、この状態下においては、自らの言葉をもってして自己を規定できないということを意味しており、自分がこの世界に存在しているのか定かではなく、自分が一体何者かを把握できないような感覚に包み込まれるのだ。

しかしながら、仮に自分が言語空間の基底部分に接触しており、言葉を生み出す舵を手放しているのであれば、その感覚は非常に合点がいくのである。依然として一つ謎が残っている。それは、母国語のみを学習していてもこのような感覚は得られないということである。

また、他の外国語を学んでも、それがある程度の習熟度合いに達すると、そうした感覚に見舞われないということだ。実際にこれまでの経験上、日本語を学習している過程の中で、このような感覚に見舞われたことはない。

さらに、英語がある程度の習熟度合いに達してからは、そのような感覚が訪れたこともない。どうやら、母国語以外の新たな言語を学ぶ過程で、言語空間の最も深層にある原初的な世界に投げ込まれるようなことが起こるのではないか、と考えている。

こうした経験は、意味を生成する言葉の深層世界に触れることと同じであるため、意味を生成する主体に少なからず大きな影響を及ぼすのである。正直なところ、言葉の深層世界は安易に覗き込むべきものではないと思っている。

なぜならそれは、自己の存在を決定的に左右する言葉の真理に触れることを意味し、これまで自分が自己だと思っていた存在が雪崩のように瓦解し、紙吹雪のように吹き飛ばされるような感覚を必ず伴うからである。

こうしたことに考えを巡らせてみて、ハッと気づいたのは、一昨日の抑鬱状態は言語の深層世界への抵触を意味していたのではないか、ということである。あのように自分が内へ内へと深く巻き込まれていく感覚は、振り返ってみると、五年前に経験した感覚と似ているものがあることに今気づいたのだ。

ここから、私にとってオランダ語を学ぶ意義は、言葉の深層世界を覗き込むことでもそれに触れることでもなく、その性質を自分なりに掴むことにあるのかもしれない。もちろん、そうした性質を掴むためには、否応なしに言葉の深層世界を覗き込み、それに触れることを余儀なくされるのだが・・・。

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