今日のクネン先生とのミーティングも大変実りあるものであった。毎回のミーティングでは、次回までの課題を明らかにし、その課題に対する自分なりの回答をまとめてクネン先生に提出するというのが、決まった流れになっている。
現在取り掛かっているのは論文の骨子となる提案書である。先日受けた助言をもとに改稿した二度目のドラフトを事前にクネン先生に送り、それに対する先生のコメントをもとに、今日のミーティングが行われた。
この提案書を論文審査委員会に提出するまでに、実はあと二ヶ月の時間があるのだが、今の時期から論文の骨子を固めておけば、研究が非常にスムーズに進むと思っている。クネン先生からのアドバイスに従い、今の段階では提案書の規定文字数を意識することなく、研究の背景や方法論に関してできるだけ詳しく論述するように心がけている。
この提案書の内容を肉付けしたり、あるいは余分な箇所を削ぎ落とす形で、実際の論文に盛り込んでいくことができるのだ。米国の大学院時代を振り返ってみると、クラスの期末ペーパーにせよ修士論文にせよ、これまでの私は文章の骨子をそれほど明確にしないまま執筆に着手していたように思われる。
当然ながら何を文章として表現したいのかを事前に考えることは行っていたのであるが、往々にして書くべき項目の列挙をするぐらいだったように記憶している。当時の大学院にも親切な教授が何人かいて、彼らのクラスでは、期末ペーパーのストラクチャーを事前に提出することが義務付けられており、自分のストラクチャーに対して添削を施してくれる教授がいたことを覚えている。
事前にしっかりとアウトラインを作成するか否か、そしてそうした添削があるとなしでは、実際の文章の質が大きく左右されるということを学んだ。今クネン先生と少しずつ提案書をより良いものにしていこうと共同作業を行っており、そうした作業によって文章が徐々に洗練されていく姿を見ると、それはさながら彫刻を掘るような仕事に似ている。
丹精を込めて彫刻を彫っていけばいくほど、彫像が徐々に形となって眼の前に現れてくるかのように、文章も練れば練るほど新しい形となって眼の前に現れてくるのである。クネン先生からの指導と共同作業によって、私は研究の内容もさることながら、それ以外のことも多く学ばされているのだ。
一回目の手直しを終え、二回目のドラフトに関して、研究の背景や目的に関してはほとんど修正箇所がなかった。ただし、今回の研究で用いるカート・フィッシャーのスキル分析に関して、もう少し説明を追加する必要があることがわかった。
私は得られた定性データに対してスキル分析が適用できることを所与のものとしていたが、これは他の読者にとっては所与ではない可能性があるため、説明を加えておく必要がある、という指摘をクネン先生から受けた。指摘された通り、私はそのような思い込みを持っていたように思う。
他者に文章を読んでもらい、それに関するフィードバックを受けることによって、自分が抱えている思い込みや前提認識などに改めて気付くことができる。こうしたことを一人で行うのは至難の技であり、やはりスーパーバイザーの存在は非常に大きいと感じている。
私は成長や発達を支援するコーチやメンターとして企業組織と関わらせてもらうことがあるが、どうもこれまでは自分がコーチやメンターをつけることに関しては少し懐疑的な思いを持っていたのだ。しかしながら、そうした懐疑的な思いもクネン先生との共同作業によって徐々に消えつつある。
クネン先生の研究室を訪れるまでの今日の自分の足取りの軽さを見てみれば、それは一目瞭然である。当然ながら力量を持ったコーチやメンターに限るが、そうした人物は、私たちが不可避に持っている盲点を私たち自身の力によって気づかせるように支援してくれるのだ。
それ以上に重要なのは、優れたコーチやメンターは間違いなく私たちの自己展開力を刺激する触媒としての役割を果たしているように思う。今日のクネン先生とのミーティングがやはり触媒となって、思考が次々に展開していくのがわかる。今日も実りの多いミーティングであった。