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433. 変化と不変


昨夜、就寝前に一冊の本を手にとって読んでいた。それは私が昨年日本にいた時に購入した “Kaleidoscopic mind: An essay in post-Wittgensteinian philosophy (1992)”という哲学書である。これは神保町の古書店を巡っている時に、洋書専門の崇文荘書店で偶然発見したものである。

私はヴィトゲンシュタインの専門家でもなければ、著者のニコライ・ミルコフの仕事に触れたのも今回が初めてである。しかし、本書の中にある幾つかの章が私の関心を強く引いたのは間違いない。

例えば、「心の動的側面の分析」「写像の創造的性質」「幾何学的な心」「生態科学としての哲学」「哲学的万華鏡」「美的経験」などの章に私は印をつけており、昨日改めてその箇所をチェックしてみると、どうやらすでにそれらの箇所を一読していたようだった。

一読と言ってもそれは単に目を通しただけであり、重要だと思った箇所に線や書き込みが少々あるだけである。こうした専門書に書かれている内容は、確かに価値のあるものであるが、内容そのものというよりも、書物で書かれていることがらが自分の内側にどのように入り込み、そしてどのような作用を自分の内側に起こすかに書物を読む重要性があると思う。

昨年偶然購入したこの書籍は、偶然という言葉では片付けられないほどの意味を持っているように思う。昨夜、この書籍のページを開いたとき、これは今読むべき本であると直感的にわかったし、今後も折を見て読み返す重要な本だとわかった。

書物が持つ不思議さは、読み手の準備が整ったときに目の前に現れたり、逆にこちら側がこれまで気づかなかった重要性をその書籍の中に見出すようなことにあると思う。今回のケースはそのどちらにも該当するだろう。

本書の中に、認識主体と認識対象に関する記述があることを発見した。その記述を読みながら、仮に認識対象が以前と変わらぬものであっても、認識主体の側に変化が起これば、両者の関係性は変化していくということを改めて考えさせられていた。

これはロバート・キーガンの「主体客体理論」の本質にある考え方と同じであり、それほど目新しいことではないのだが、この本質的な考え方を実際にこの瞬間に経験してみると、そうした考え方は再び目新しいようなものに思えるから不思議である。

なるほど、私という認識主体がこの一年間に少しばかり変化をしており、そうした変化によって昨年一読したはずの本書から新しい意味を汲み取ることにつながり、この経験を通じて再度私の認識主体が変化したために、「主体客体理論」にある本質的な考え方という認識対象の受け取り方に変化が生じたのだとわかった。

要するに、認識主体である私に変化が生じたことによって、私は同じ内容が書かれた動かぬ書物から違う意味を汲み取り、その書物に対してのみならず、「主体客体理論」という抽象的な概念に対しても違う意味を汲み取ったのである。

この世界には、変わらずに固着された物や考え方がある一方で、絶えず変化する主体的存在がいることを再度確認する。確かにヘラクレイトスが「万物は流転する」という言葉を残したように、全てのものは変化する運命にあるのだろう。また、仏教でいう「諸行無常」という言葉も、この現実世界の事物と現象すべてが常に変化するという考え方を持っている。

仮にこれらの言葉が正しくても、私には認識対象の変化よりも認識主体の変化の方に重きを置いて着目してしまう傾向がある。というのも、今回の話で言えば、この書物自体の変化——劣化や破損——が自分にとって重要性があるとは思えないし、また「主体客体理論」にある本質的な考え方というのも普遍的かつ不変的な特性を持つものにまで昇華されているような気がしているからだ。

あまり重要性を見出せない書物自体の変化よりも、さらには、変化の余地がほとんど残されていない「主体客体理論」にある本質よりも、私自身の変化の中により重要なものが含まれていると思うのだ。

窓の外から二人の青年が自転車を漕いでいるのが見えた。二人は横一列になって談笑をしながら自転車を運転している。同じ速度で動いている彼らには、二人の位置が確かに変化していることは気づきにくいのかもしれない。

やはりそうなのだ。二つのものが同時に変化している時には、その変化に気づくことは難しいのだ。しかし、今の私は自分自身の変化に気づいているのだ。こうしたことが起こるのは、何か固定的なものがあり、それを参照点として私という認識主体が変化しているからなのではないだろうか。

そうであるならば、この世界には変化するものと変化しないものがありそうだ。少なくとも、変化の速度が違うものがこの世界には混在しているように思えるのである。

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