早朝起床すると、窓から見える景色は辺り一面闇に包まれていた。完全に太陽よりも先に活動を始めている自分がここにいる。季節は秋真っ只中である。今朝のフローニンゲンは、寒さに加えて、空一帯が分厚い雲に覆われていた。
そして、黒々とした雲から小雨が降り注いでいる。今朝もほぼいつも通りの時間に起床したのだが、どうも活動に向かう気力が減退しているように思えた。そのため、もう少し睡眠をとってから活動を開始しようと思い、20分間ほど睡眠を追加することにした。短い睡眠の後、気力の減退感から回復していることに気づき、早朝の仕事に取りかかった。
一時間ほど仕事に没頭したところでふと窓から外を見ると、先ほどの分厚い雲が柔らかな雲に変化していた。そして、太陽が昇り始めることに呼応して、一筋の虹が現れたのだ。ヨーロッパ風の赤いレンガの家々を架橋するような虹が空に架かっていたのである。
虹の片方は家の屋根に架かっており、もう片方は柔らかな雲と青空の隙間に向かって伸びていた。想像上の私は、この虹を通って地上から天上へ、天上から地上へと自由に行き来をしていた。地上にのみ留まらないということ、そして天上にのみ留まらないということが大切だ。
地上界と天上界という二つの世界の中に自己を規定するというよりも、この虹の中に自己を規定してしまうのはどうだろうか、というような思いが湧き上がってきた。そのようなことを考えていると、虹はどこかに消えてしまい、シロナガスクジラのような雲が大海を彷彿させる青空をゆっくりと泳いでいるのに気づいた。
先日、偶然ながら私が長らく師事をしていたオットー・ラスキー博士から連絡を受けた。ラスキーと私は今でも定期的にやり取りをしており、今回は彼から新しい論文を贈ってもらった。論文のタイトルは “How Roy Bhaskar expanded and deepened the notion of adult cognitive development: A succinct history of the dialectical thought form framework (DTF)”である。
この論文は、近々Integral Leadership Reviewから出版されるそうだ。この論文を読むと、近年のラスキーは多様な発達領域において特に認知的発達に強い関心を持っていることがわかる。実際にラスキーが述べていたように、彼の関心事項は、成人発達において私たちの思考形態がどのような種類を持ち、それらが質的にどのような変容を遂げるのかにあるのだ。
ラスキーが構造的発達心理学の領域に果たしている貢献は、ヘーゲルやロイ・バスカーなどの哲学者が提唱する「弁証法思考」の特性を誰よりも深く探究し、哲学の領域で議論されている人間の思考特性を構造的発達心理学の枠組みから捉え直していることにあると思う。
「弁証法思考」と一口に言っても、ラスキーは28個の弁証法思考の形態を提唱しており、数年前にラスキーの下で学んでいた時、それらを一つ一つ理解することは非常に難しかったと記憶している。ラスキーが独自の視点から成人発達理論に新たな知見を加えていることを否定する者はいないだろう。
しかし非常に残念なのは、ラスキーの仕事は多くの発達心理学者からあまり注目されていないということである。ラスキーが提唱する認知的発達モデルには哲学的な観点が多数盛り込まれており、その理論モデルが難解だということに一因があるだろう。
さらに私は直感的に、ラスキーの提唱する理論モデルがなぜ日の目を見ることがないのかも分かりつつあるようになってしまった。80歳を迎えたラスキーは、今もなお執筆活動を続けている。ラスキーとの付き合いを通じて、世間から仕事が正当に評価されるというのは、非常に難しいことなのだと思わされる。
虹が去り、雲が去った後の空を見ながらそのようなことを考えさせられた。2016/10/2