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416. レンガ造りの家々より


この三日間は外出することもなく自宅にこもって仕事を進めていたため、先ほど近所を散歩しに出かけた。仕事が煮詰まった時や気分転換を図りたい時に、散歩というのは実に優れた行為だと思う。家を出て、「ヴァン・ゴッホ通り」を少し歩いてみた。こちらの通りには、ブレイトナー通りに並んでいるアパートよりも居住スペースの広そうなアパートが立ち並んでいる。

ヴァン・ゴッホ通りをしばらく歩き、今度は自宅の近くにある閑静な住宅地を歩いてみた。ここにはお洒落なレンガ造りの家がたくさん並んでいる。先ほどのアパートにせよ、目の前に広がるレンガ造りの家にせよ、共通して建物の高さは高くない。近所のアパートは軒並み、四階建てかせいぜい五階建てぐらいの高さしかない。

レンガ造りの家に関しては、せいぜい三階建てぐらいのものしかない。自分の自宅にいる時にせよ、周りの居住地を歩いている時にせよ、妙に安心感があるのは、高層マンションや高層ビルのような建物がないからなのかもしれない、と思った。高くそびえ立つ建物は確かに壮観なものがあるのかもしれないが、往々にしてそうした建物には人を不必要に圧倒するような何かが潜んでいるような気がするのだ。

私たち人類は進化の過程で、基本的に木よりも高い場所に居住地を築いてこなかったため、現代社会のように木々を遥かに超す場所に人工的に居住地をこしらえるというのは、遺伝子レベルでの違和感を私たちに与えるのかもしれない。少なくとも、私が現在の居住場所に対して感じている安心感と現代社会に乱立する高層な建物に対する違和感は、こうした遺伝子レベルでの感覚に則っているような気がするのである。

散歩から帰ってきて再び仕事に向かう。やはり散歩から帰ってきた後は心身の流れが整っており、仕事が滑らかに進んでいった。夕刻の仕事を終え、風呂に入り、夕食をとる。先日の美容院の帰りがけに偶然立ち寄ったチーズ屋に、様々な種類のナッツが置かれていることに気づいた。

オランダに来てから、ここ三年間継続させていた食事内容を大きく変えることにした。米を食べることが一切なくなり、昼食と夕食には多様な具材が入ったサラダとパンとチーズを食べるようになっている。それに加えて、そのチーズ屋で発見したナッツ類を夕食で食べるようになった。

これまでナッツ類を食べるような習慣はなかったのだが、そのチーズ屋で置かれていたナッツ類が、どうも自分に語りかけているような気がしたのだ。具体的には、それらのナッツ類を見ていると、自分の脳下垂体や松果体をくすぐるような感覚があったのだ。

そうした感覚をもとにナッツ類を眺めてみると、何やらそれらが脳下垂体や松果体のような脳の部位に見え始めた。自分の脳下垂体や松果体をくすぐるような感覚と、そこに置かれていたナッツ類が脳のそれらの部位に見え始めた、という二つの理由をもってして、一つの容器からマカデミアナッツをすくい取り、別の容器からアーモンドやくるみなどが混ぜ合わさったナッツ類をすくい取って袋に詰めた。

このようにして購入したナッツ類を今食べているのだが、それらがこれほどまでに美味しいものだとは思ってもいなかった。感覚的に自分が最適だと思う個数のマカデミアナッツと他のナッツ類を食べ始めて、数日が経つ。ナッツ類を食べるというのは、自分の新しい食生活の一つになりそうである。

夕食後、窓越しに外を眺めると、薄明かりの中に先ほどの散歩で通ったレンガ造りの家々が見える。日が沈みかけの最中にあっても、それらの家々は不気味な気配を放つことなく平然とそこにたたずんでいる。それを見る者を驚かせることもせず、自己嫌悪に陥ることもなく、ただそこにたたずんでいる。

やはり気になるのは、この家々の高さである。これらのレンガ造りの家は、高くもなく低くもないがために、その場に自然な形で存在することができているように思う。そのようなことを思う今この瞬間の私は、自分の内側にレンガを無数に積み上げて、天上界を突き抜けるほどの概念的構築物を築き上げていこうとする強い想いがあるようなのだ。

それゆえに、散歩の最中にせよ夕食後にせよ、レンガ造りの家々の高さとそのあり方が気になってしょうがなかったのだろう。

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