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412. 知識の重要性について


昨日は、第二回のオンライン読書会に向けて、自分でも事前課題について回答を少しばかり考えていた。基本的には事前知識を必要としないオープンクエスチョン形式を意図していたのだが、中には構造的発達心理学を含めた発達科学の知識を必要とするものも混じってしまっていた。

最初の設問からある程度の事前知識を要求するような作りになっていることに気づいた。自分でも幾つかの設問に回答してみたところ、仮に今から五年前にこれらの設問に回答しようとすると、きっと自分の回答が大きく異なるだろうと思った。主な理由としては、やはり五年前と比べて、当該専門領域に関する知識が拡張したことにあるだろう。

また、それらの知識を自分の体験に引きつけて考えることを少しずつ継続させてきたということ、さらには当該専門領域の知識を活用した具体的な実務作業に携わってきたということ、それらの二つも重要な点だろう。

以前の記事で、知識基盤を構築することの重要性について言及していたように思う。五年前の私が仮に設問一(ロバート・キーガンとエリク・エリクソンの発達モデルの共通点と相違点について)に対して回答し、その文章をカート・フィッシャーの測定手法(尺度の最大値は12)で評価すると、おそらくそのレベルは9か10ぐらいだったのではないかと思われる。

当時はキーガンの理論に対する理解を深めている最中であったし、エリクソンの理論に至っては高校の倫理の授業で習った程度の知識しか持ち合わせていなかった。そのような中で両者の理論モデルを比較するというのは至難の技であり、その時の自分の回答はおそらく、キーガンとエリクソンの理論の表面的な特徴に囚われ、二つの理論が生まれた歴史的背景や文脈などを考慮することなく、非常に単線的な説明になっていたと思う。

つまり、回答の知識構造が貧弱であり、重層的な構造を持つ回答になっていなかったのではないか、と容易に想像できる。当時の自分の回答は、二つの理論が持つ特徴を単純に列挙するだけのレベル9のような特徴を持っていたか、あるいは、列挙された特徴を表面的に結びつけるようなレベル10の特徴を持っていたように思う。

言語依存型の能力を発揮する際には、やはり知識の有無は重要な鍵を握っている。仮にキーガンとエリクソンの理論に関して豊かな知識を持ち合わせていれば、それらを自由自在に縦横無尽に組み合わせることが可能になり、回答に厚みがもたらされ、回答そのものが一つの重層的な体系(システム)になると思うのだ。

専門家と非専門家が持つIQと知識の関係性について以前紹介したように、仮に高度なIQを持ち合わせていなくても、自分の専門領域に関する知識基盤が強固なものであれば、専門領域内で知性や能力を発揮する際には、IQの高い非専門家を圧倒的に凌ぐことができるのである。

それもそのはずで、IQという尺度はそもそも一般的な知能を測定するために開発されたものであり——知性や能力の測定手法を研究する専門家の間では、IQは過去の遺物と化しており、一般的な知能を測定できるかどうかも疑わしいとされている——、特定領域内で発揮される知性や能力を個別具体的に測定するものではないからである。

近年の発達科学が強調するように、私たちの知性や能力は、具体的な文脈の中の具体的なタスクと紐づく形で発揮されるため、特定の領域で鍛錬を積んだ専門家が高度なIQを持つ非専門家を凌ぐパフォーマンスを発揮することが可能になるのである。自分で作問した事前課題の設問に回答してみたところ、上記のような気づきが得られた。

五年前と比べると、やはり量的にも質的にも異なる知識基盤を持つ自分が今ここにいることは確かだろうし、それが自分の回答に如実に表れているのを見ると、改めて知識の重要性に気付かされたのだ。今私が意識していることは、一つの領域ではなく、多様な領域の専門知識を獲得していくことによって、様々な分野を自由に横断できるような柔軟性を持った知識体系を構築していくことだろう。2016/10/1

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