流れてくる音楽に耳をすませていると、そこには固有のリズムがあることに気づく。ランダムで再生しているはずのピアノ曲は、それらが全て一つのリズムの中で奏でられているような気がするので不思議である。
自分の日常も長短を織り交ぜた波がうねりながらも、それはそれとして一つの固有のリズムを持っている。フローニンゲンという街に降り立ってからの二ヶ月間の日々を微視的に眺めると、日々の中の私の精神状態と身体状態は間違いなく様々な幅を持った波として動いている。一方、巨視的に眺めてみると、それは一つの固有のリズムを持った波として躍動しているように思える。
前々から気になっていたのであるが、ある領域における熟達者は何やら独特のリズムを持っているのではないだろうか。対象領域は武道でもいいし、芸術の世界でも何でもいい。その道で一流とされる熟達者は、初心者とは性質がまるっきり異なる独特のリズムを持って実践活動に従事しているのではないか、と思わされたことはないだろうか。
私はこれまでの経験上、スポーツの領域のみならず、独特な思考運動を展開している優れた知性を持つ人たちを目の当たりにしてきた。彼らが実践の際に発揮するリズムは非常に独特であり、その道の初心者が真似をしようと思っても真似できない代物である。今年の夏に行われたリオ五輪においても、一流のアスリートたちが私たちとは異なる独特のリズムを持って競技に臨んでいるのを目撃した方も多いのではないだろうか。
このような問題意識を持っていたところ、私の良きメンターであるルート・ハータイ教授を筆頭著者とする論文 “Pink noise in rowing ergometer performance and the role of skill level (2016)”の中に大変興味深い研究結果が報告されていた。この論文は、一流のボート選手と初心者の技術の発揮のさせ方の違いに焦点を当てている。
この論文で何が注目に値するかというと、私が感じていたことと同様に、一流のボート選手は能力の発揮のさせ方が独特なのだ。どのような意味で独特かというと、この論文によれば、一流のボート選手は能力を発揮する時に「ピンクノイズ」と呼ばれるものを生み出しているのだ。
「ノイズ」と言ってもこれは何か特殊な音を出しているわけではもちろんなく、ノイズというのは能力の変動性のことを指す。私たちは何かの能力を発揮する時、その変動性のパターンは大きく三つに分けられる。一つ目は、「ホワイトノイズ」と呼ばれるものである。これは、能力を発揮する際の変動性が最も高く、一定時間において能力を発揮する時に、常にその能力レベルが乱高下しているようなイメージである。
二つ目は、「ブラウンノイズ」と呼ばれるものである。これは先ほどのホワイトノイズとは真逆であり、能力を発揮する際の変動性が最も小さい。言い換えると、一定時間において能力を発揮する際に、能力の発動のさせ方に変化が乏しく、極度に安定的なのである。
三つ目は、「ピンクノイズ」と呼ばれるものである。これはホワイトノイズとブラウンノイズのちょうど中間に位置し、能力の変動が激しすぎもせず、安定的すぎもしないというものである。
この論文で明らかになったのは、ボート競技の初心者は能力の乱高下が激しく、ホワイトノイズを生み出し、一流のボート選手は程よい変動性と安定性を持ったピンクノイズを生み出す、ということである。この論文の調査結果を見ると、初心者は変動性の激しいホワイトノイズしか生み出さず、ブラウンノイズを生み出してはいなかった。おそらく初心者が何か実践をする際は、常に試行錯誤の状態で失敗と成功の入れ替わりが激しいため、ホワイトノイズが検出されたのだと思う。
仮に私たちが全く条件を変えず、自分なりの工夫を凝らすことなく、単調な反復練習をするときなどにブラウンノイズが検出されるのかもしれない。興味深いのは、一流の実践者がピンクノイズを発揮するということだろう。様々なことが考えられるだろうが、その道の熟達者は、置かれている文脈や環境が変化に激しいものであれば、その変動性を抑えるように安定的な波を内側で作り出し、波が激しすぎないように調節するような能力を持っているように思える。
一方、熟達者は単調な反復練習をする際にも、自分なりの工夫を凝らしながら、能力の発揮のさせ方にあえて変動性を持たせるようにしているのではないか、ということが推測される。一流の熟達者のパフォーマンスから感じていたある種の独特なリズムの正体は、こうしたピンクノイズにあるのかもしれない。