峠は決定をしうるところだ。峠には決別のためのあかるい憂愁が流れている。峠路(とうげみち)をのぼりつめた者は、のしかかってくる天碧(てんぺき)に身をさらし、やがてそれを背にする。
風景はそこで綴じあっているが、ひとつを失うことなしに、別個の風景に入ってゆけない。大きな喪失に耐えてのみ、新しい世界が開ける。
峠に立つ時、すぎ来し道はなつかしく、開ける道はたのしい。道はこたえない。道は限り無くさそうばかりだ。
詩人真壁仁「峠」より
今日は午前中に、私の論文アドバイザーであるサスキア・クネン先生の研究室を訪れた。クネン先生との最初の出会いはかれこれ八ヶ月前のことである。今このようにして自分がクネン先生の研究室で話をしていることが不思議に思えてくる。
あれは三年前のことだろうか。ハーバード大学教育大学院に在籍していたカート・フィッシャー教授の研究室を訪れ、後日改めてフィッシャー先生とメールでやり取りさせていただいた時に、フローニンゲン大学やポール・ヴァン・ギアート教授の名前を教えてもらった。
当時の私は、フィッシャー先生の下で探究を進めたいと思っていたが、ポール・ヴァン・ギアート教授の論文を読んだ瞬間に、自分はまず最初にフローニンゲン大学に行く必要がある、と直感的に閃いたのである。あの時の私はニューヨークに住んでおり、ボストンは非常に近く、今度の引っ越しは距離的に楽なものになりそうだと思っていた。
しかし、私は結局ボストンで生活を始めることなく、フィッシャー先生のところへ訪問した後は、ロサンゼルス、東京、フローニンゲンとどんどん西へ移動していくことになった。地球を西回りする形で人間の発達について探究を続けた結果、もしかしたら再び米国東海岸へ戻る日が来るかもしれないと思う。
フィッシャー先生とのやり取りの後、私は間髪を入れずポール・ヴァン・ギアート教授に連絡をした。すると、ヴァン・ギアート教授はちょうど学術世界から公式的に引退したということであり、長らく一緒に仕事を続けてきたサスキア・クネン先生を紹介してくださったのだ。
それ以降、私はヴァン・ギアート教授とクネン先生の論文をひたすら読むような生活になり、読めば読むほど、自分の次の行き先はオランダのフローニンゲン大学だという思いが増す一方であった。今、自分の手元にある論文の一つには、コーヒーの小さなシミが付いている。このシミは、ロサンゼルスのスターバックスで熱心に論文を読んでいる最中に付いたものだ、ということをふと思い出した。
それを思い出した私は、今こうしてフローニンゲンにいる。ここまでの道のりは平坦なものでは決してなく、実際に私は、ロサンゼルス在住中に一度、東京在住中に一度、合計二回ほどフローニンゲン大学から不合格通知を受けている。
二回目の不合格通知を受けた後、引き下がるという選択肢が私の中には一切なかったため、不合格理由の最大のものであった統計学の知識と技術をなんとか独学で高め、英国ケンブリッジ大学に足を運んで統計学とプログラミング言語Rに関する集中的なトレーニングを受けることにしたのだ。
ケンブリッジ大学の図書館で思いがけない偶然に遭遇したことを今でも鮮明に覚えている。図書館で何気なく手に取った発達心理学に関する論文誌を開いた瞬間に、クネン先生の論文が掲載されていたのだ。これは驚くべき偶然であった。その後、イギリスからオランダに移動し、フローニンゲン大学のクネン先生の研究室を訪れたのが今から八ヶ月前の出来事なのである。
私:「クネン先生、おはようございます。」
クネン先生:「あら、ヨウヘイ。久しぶりね、どうぞここに座って。」
私:「ありがとうございます。」
クネン先生:「ついに来たわね(笑)。ようこそ!」
私:「ええ、ついに来ましたよ(笑)。ここに来れて光栄に思います。」
クネン先生との八ヶ月ぶりの再会を果たし、まずはお互いの近況報告などをしていた。特に、私が話を伺いたかったのは、クネン先生が参加したスペインで先週に開催された学会についてだった。クネン先生も発表者の一人として登壇し、私は発表資料を先週末に見ていたため、発表に対する他の研究者たちの反応を含めて興味があったのだ。
私:「そういえば、スペインでの学会はいかがでしたか?」
クネン先生:「えぇ、素晴らしかったわ。」
私:「先生の発表資料を見ましたが、ダイナミックシステムアプローチに関する他の研究者の反応はどうでしたか?」
クネン先生:「おかげさまですごく好評だったわ。実際に、私の発表に数多くの研究者が詰めかけてくれて、いろんなやりとりをすることができたの。発達現象を研究する者にとって、変化のプロセスをいかに捉えていくかにみんな関心を持っているようで、とても好評な発表だったわ。」
私:「それは素晴らしいですね。僕はてっきり、欧州の発達研究者の中ではすでにダイナミックシステムアプローチは非常に馴染みのあるものだと思っていたのですが。」
クネン先生:「確かにポール(ヴァン・ギアート)は三十年以上も前にダイナミックシステムアプローチに着目しており、私も彼とかれこれ二十年以上も一緒に仕事をしてきたけど、ダイナミックシステムアプローチが発達科学者に注目され始めたのは比較的最近のことだし、まだまだこれからの分野ね。それを今回の学会でも感じたわ。」
私もヴァン・ギアート教授の論文を時代を遡りながら読み進めることによって、ヴァン・ギアート教授がダイナミックシステムアプローチに三十年以上も前から着目していたことに驚かされたのであるが、三十年経った今になって、ようやく少数の発達科学者が本腰を入れてこのアプローチを活用し始めているのだという現状に少なからず驚かされた。クネン先生曰く、やはりダイナミックシステムアプローチに不可欠の数学的素養に関するハードルが、この分野の進展に影響を与えていたそうである。
こうした雑談の後、本題の私の研究論文に話が移った。今回の論文は学位取得のためだけで終わらせるのではなく、この論文の内容を元に査読付き論文としてどこかのジャーナルに投稿したい、という旨をクネン先生に伝えた。すると有り難いことに、もちろん分析結果によりけりだが、私を筆頭著者に据え、クネン先生が第二著者として共著論文にして行こう、という提案をしてくださった。
確かに、ジョン・エフ・ケネディ大学の大学院に在籍していた時にも、ある書籍の一つの章を自分の論文に当ててもらったが、その論文の質は今から見ると非常にお粗末なものであり、今回の論文にかける意気込みは強い。
発達科学におけるダイナミックシステムアプローチの領域を引っ張る第一人者から薫陶を受ける日を三年間も待っていたのだ。過ぎた道を振り返ると、それは長く険しいものであったが、確かに懐かしく思う。
そして、これから開ける道はいかなる困難や障壁があろうとも充実したものになるだろう。いずれにせよ、過ぎ去った道やこれから訪れる道そのものに目を奪われるのではなく、道に自己を委ね、道そのものとして生き続けていくことが大切なのだろう。2016/9/26