今日は第五回目のオランダ語のクラスがあった。いつもと全く変わらない心身状態であったはずなのだが、今日は一段とクラスの内容が理解できなかった。早朝ギリギリまで仕事に取りかかっており、バタバタした状態で自宅を出発したため、うまく言語空間を英語からオランダ語に変えることができていなかったようなのだ。
いつもは、自宅を出発するや否や、たどたどしくてもオランダ語で物事を考えるようにしているのだが、今日は少しばかり焦って自宅を飛び出したため、頭の中が英語のままであった。それが影響し、これまでのクラスの中で一番出来が悪かったように思う。新しい言語を学習するというのは本当に山あり谷ありだと痛感させられる。
現在、日常生活の中で私はオランダ語を喋る機会というのはほとんどないのだ。もちろんオランダ人の友人も何人かできたが、彼らと話すときは基本的に全て英語なのだ。他のクラスメートはどうも学生寮などに住んでおり、そこではオランダ語でやり取りをする時がある、ということを聞いた。
今の私は、スーパーの店員を除いてオランダ語でやり取りをする人間は一人もいないため、他のクラスメートよりも実践量が不足しているのかもしれないと思った。今日は久しぶりに学習に関して劣等感を覚えた。
週末にかけてこれまでの学習内容を全て復習し、特に単語の意味や発音をしっかりと確認していたにもかかわらず、クラス冒頭で教師のリセットから受けた質問にほとんどうまく答えられなかったのだ。 “Hoe laat is het?(今何時ですか?)”という文章は確かに先週習ったのだが、完全にこの表現を見落としており、何を聞かれているのか全くわからなかった。
私以外の11人の生徒がリセットの質問の意味を理解し、それに対してきちんと答えていることにかなり驚かされた。二回目に指名された時も質問の意味が全く分からず、回答することができなかったのに対して、他のクラスメートは平然と受け答えをしていたのだ。
さらに、クラスの後半でショッキングな事実が判明する。なんと、私は他のクラスメートよりも数倍以上の努力をしていたことが明らかになったのだ。ルーマニア人のユリアとインド人のブハーブナと三人一組で今週取り上げる会話事例を音読していた時のことだった。
私:「なんとか全て読み終えたね。ところで二人は何回ぐらいこのテキストを事前に音読していたの?やたらと流暢にオランダ語を発音してたよね。」
ブハーブナ:「う〜ん、昨日一回だけ読んだかな。」
私:「えっ?たったの一回?」
ユリア:「(教師のリセットの方を一瞥しながら)ここだけの話だけど、ゼロ!(笑)」
私:「ゼロ?一回も読んでないの?」
ユリア:「うん、全く読んでこなかったわよ。まぁ、ドイツ語を学習していたことがあったから発音が比較的簡単に感じるのかも。ブハーブナも英語がネイティブ言語よね?だから意外と簡単に発音できるんじゃない?」
ブハーブナ:「そうね、私も一回しか読んでないけど、発音はそれほど難しくないわ。感覚的にわかる感じ。」
私:「・・・」
正直なところ、私も大学時代にドイツ語を習っていたのだが、その時の真剣さの度合いは極めて低かったため、それは差し置くとしても、今回のテキストを私は10回ぐらい事前に音読していたのだ。それでも彼女たちに比べると、非常にたどたどしい音読だったのだ。
今日改めて認識したのは、私の言語の素養が他のクラスメートに比べて歴然として低いということであった。そして彼らと同じ速度でオランダ語の学習を進めていくためには、彼らと比べて数倍の努力では全く足りないということを認識したのだった。
所属グループの中で最下位の位置に置かれることを久々に経験し、とても有り難い気持ちになった。こうした状況に置かれることを長らく心待ちにしていたし、今抱えている劣等感は実に健全なものだと思う。
これまでの自分のオランダ語学習の仕方を振り返ってみると、そこに思考を働かせる試みがほとんどなかったことが改善点であると思った。
単純に単語の意味や発音を確認しているだけでは、実際の会話をスムーズに遂行していくことなどできず、自分の頭を使ってまずは文章を組み立てる試みが必要になるだろう。これまで習った疑問文を自分に投げかけ、それに対して自分で回答を考えるという実践を何度も何度も継続することによって、初めて無意識的に会話の応答ができるようになってくるのだと思う。
学習の仕方に工夫を施し、さらに練習量も今以上に増やしていきたいと強く思った。