今朝起床した時に窓の外を見てみると、空一面が雲で覆われていることに気づいた。これは雨雲ではなかったが、薄く灰色がかった雲が途切れることなく空を覆っていた。この雲はひと続きの塊として同一性を保っていたため、上空を動いているのかどうか判断がつかなかった。
その後、午前中の仕事に没頭し、昼食時に再び空を見上げると、先ほどの一塊の雲がちぎれちぎれになって空に浮かんでいた。空に散らばる様々な雲を見ていると、そこに個性化が生じたのだと思った。一つの塊として同一化していた雲が様々な形に分離されることによって、一つ一つの個性を獲得したのではないか、と思ったのだ。
そのようなことを思いながら、昼食のパンをかじった時だった。イギリスの哲学者かつ社会学者であったハーバート・スペンサーが、進化の本質に同質性から異質性への移行を見て取ったことを思い出した。それと同時に、これはまさに、発達心理学者のハインツ・ワーナーが発達の本質として、同一化していたものが差異化していくプロセスを見て取ったことと同じであることを思い出したのだった。
先ほどの裂け目のない大きな塊とは打って変わり、分離した雲を見つめながら色々と考えさせられることがある。同一化していた雲は、差異化を経て、まるで個性を獲得したかのように、各々違う速度で空を泳いでいる。果たしてそれらの雲を見つめている今この瞬間の私は、何と同一化しており、そこから差異化するというのはどういうことを意味するのか考えていた。
しかしながら、差異化の意味について思考のベクトルが向かうことはなく、差異化の方法について考え始める自分がその場にいた。どうも差異化を生み出すためには、雲単独の力ではどうにもならないのではないか、と思ったのだ。
つまり、雲を取り囲む様々な関係当事者と見えない現象を含めて構成される動的なネットワークが必要なのではないか、と思うに至った。
先ほどの一塊の雲を見ていると、もちろんその雲が持つ自発的な力を使って分離が行われたと見ることができる。しかしそれに加えて、どうやらこの雲は、太陽や風の影響や地上から上昇してくる水蒸気の影響を受けることによって、差異化が進められたと思うのである。
そして、徐々に差異化が進行し、一つ一つの雲に分離すると、それらの雲は互いに交流し合ったり、ぶつかり合ったりしながらさらに差異化を進めていく。
その結果として私の目の前にある個別性を獲得した雲たちは、大気圏の圧力と風に身を委ねながら優雅に進むことができているのだ、と思わされた。雲の優雅な動きにしばらく見とれていると、自分が見ていたのは雲ではなく、その先に広がる空であることに気づいた。
分離した雲を生み出すことではなく、すべての雲を包括する空を自分の中で生み出すことはできないだろうか。そんなことを思ったのだ。アメリカの偉大な哲学者チャールズ・サンダース・パースが述べているように、私たちにはシステム的な統合性を自分の内側で作ろうとする強烈なまでの力が内在的に宿っており、そうした力が知性や能力を含めた人間の発達の根幹にあるのだ。
個別性を持った一つ一つの雲を創出することのさらに先には、それらの雲を包摂するような空が必要なのだ。自分の内側に広大な空を構築していくことに着手する必要性があると思わされた。だがその前に、昼食をきちんと食べ終えようと思う。