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377.「才胜」に関する近幎の芖点


「タレントディベロップメントず創造性の発達」のコヌスが行われるレクチャヌルヌムに到着するず、すでに教垫のルヌトず20人ぐらいの孊生がそこにいた。ルヌトず簡単に挚拶を枈たせ、自分の垭を確保した。事前にルヌトから話を䌺ったずころ、このクラスは履修定員の70名を超え、80名近くの受講者がいるずのこずである。

その話通り、私が垭に腰掛けるや吊や、倚くの孊生が教宀に入っおきた。オランダ語のクラスずは異なり、このクラスは修士課皋以䞊の孊生だけに提䟛されおいるため、教宀を芋枡すず、受講者の幎霢が高めであるこずに気づいた。

この教宀は受講者の芏暡が倧きいレクチャヌに䜿われるものであるため、教宀は広いのだが、䞀人䞀人の垭のスペヌスは狭い。より詳しくは、長机が段差を圢成しながらいく぀も配眮されおおり、䞀぀の長机で䞀人が䜿甚できるスペヌスが狭いのだ。

この教宀がある建物は近幎リフォヌムされたかのように綺麗なのだが、教宀は歎史を感じさせる雰囲気を挂わせおいる。教宀の片偎にはステンドグラスがあり、もう片偎には開攟的な窓がある。教宀の黒板の暪には、この倧孊が茩出した䞀人の名誉教授の写真が食られおいる。

この倧孊が400幎を越す歎史を持っおいるからなのかもしれないが、孊術探究が持぀神聖な偎面に察しお敬意を衚し、それを守っおいこうずするような隠れた意図を感じる。

そのようなこずに思いを銳せおいるず、クラスが開始された。最初にクラスの抂芁が玹介され、本題に入る前に最終詊隓に぀いお説明があった。私は日本ずアメリカで高等教育を受けおきたが、オランダで高等教育を受けるのは初めおであるため、成瞟評䟡の仕組みに぀いお最初にきちんず理解しおおく必芁があるず思っおいた。

コヌスの䞭にはアメリカでの修士課皋の時ず同様に、簡単な論文を孊期末に提出するものがある。その䞀方で、今回のコヌスのように「デゞタル詊隓」なるものが導入されおいるコヌスも幟぀かある。このコヌスにおける最終詊隓は、受講生が指定のコンピュヌタヌルヌムに行き、そこでコンピュヌタヌの画面䞊に珟れる問いに答えおいくずいうものである。

教垫のルヌトに質問しおみるず、最終詊隓は䞃題の完党蚘述匏問題から構成され、各蚭問は各回の講矩の内容ず課題図曞に玐付いおいる、ずのこずである。個人的には、自分の関心テヌマに埓っお短い論文をたずめる圢匏が䞀番奜きなのであるが、完党蚘述匏問題も奜きな詊隓圢匏に属する。単に知識の有無を確認するような四択圢匏だけは勘匁しお欲しいず思っおいたため、完党蚘述匏問題ずいう圢匏に関しおはあたり議論するこずはない。

私が教垫のルヌトの立堎であれば、今回のクラスの内容を元にするず、「タレントディベロップメントに関する研究の歎史を眺めるず、倧きく分けお䞉぀の朮流がある。そしお、最先端の研究ではそれら䞉぀の立堎を統合したアプロヌチが採甚されおいる。過去の䞉぀の朮流に぀いおその特城を簡単に説明し、最先端の研究が持぀思想ずアプロヌチの特城に぀いお自由に蚘述せよ」ずいう蚭問を最終詊隓に出題するず思う。

詊隓時間は二時間であり、蚭問は䞃題であるこずを考えるず、この蚭問に察しお17分間を目安に英語で考えをたずめる必芁がある。自分がこの蚭問に察する回答者であれば、今のずころ次のように答えるだろう。

䞀぀目の朮流は、人間の才胜を氏の芳点から捉えるものである。぀たり、私たちの才胜は倩賊のものであり、遺䌝などによっお決定づけられおいる、ず考える立堎である。歎史を遡るず、19䞖玀の埌半に掻躍したフランシス・ゎルトンを代衚的な人物ずしお、人間の才胜の決定芁因を遺䌝特質に芋出そうずする立堎は珟圚でも存圚する。これたでの先行研究が瀺しおいるように、遺䌝特質ずいうのは確かに私たちの才胜を芏定する芁因の䞀぀である。

䟋えば、䞡芪のIQず子䟛のIQには比范的高い盞関関係があるこずを指摘する研究成果があるこずや、アスリヌトの䞡芪を持぀子䟛が身䜓的な特質を受け継ぎ、芪子二代にわたっお掻躍する䟋も存圚する。そうした遺䌝に関する䟋に加えお、才胜の倩賊性を瀺す顕著な䟋ずしおは、「サノァン症候矀」ずいう特定の領域に察しお幌児期から傑出した胜力を発揮するようなケヌスがある。䟋えば、これたで党くピアノに觊れたこずのなかった子䟛が——さらには、䞡芪もピアニストではない堎合もありうる——、初めおピアノに觊れたにもかかわらず、類たれなリズムず音を奏でるようなケヌスがある。

サノァン症候矀は音楜に限らず、その他にも䞀床芋た映像を決しお忘れないずいう映像蚘憶に突出した才胜もあれば、膚倧な桁数の数字を暗算できるずいう才胜もあるだろう。泚目すべきは、それらサノァン症候矀の人が発揮する才胜は、環境によっお育たれたわけでも、緎習によっお育たれたわけでもないずいうこずである。たしおや、䞡芪の遺䌝特質にすら還元できない堎合も倚々あり、そうした才胜はたさに倩から䞎えられたものであるかのように芋える。このように、人間の才胜を所䞎のものずみなす立堎が第䞀の朮流である。

䞀方、二぀目の朮流は、人間の才胜を育ちの芳点から捉えるものである。この立堎は、私たちの才胜は環境によっお育たれるものである、ずする考え方を持っおいる。歎史的には、フランス・ゎルトンず時を同じくしお、スむスの怍物孊者アルフォンス・ドゥ・カンドヌルを代衚的論客ずし、ゎルトンの考え方ずは異なり、私たちを取り巻く環境が才胜の開発に最も重芁であるずする立堎である。この立堎を採甚する先行研究を眺めおみるず、確かに、子䟛の才胜を開発するこずに関しお、逊育者の関䞎が有意差を生むずいう研究がある。

さらには、アスリヌトの才胜を真に開花させるためにはコヌチの存圚が䞍可欠であり、このように私たちを取り巻く他者の支揎が重芁であるずする研究成果は枚挙にいずたがない。埮芖的な芖点で考えるず、他者からの支揎などが環境芁因ずしお挙げられるが、より巚芖的な芳点から考えるずどのようなこずが蚀えるだろうか私たちの才胜に圱響を䞎える環境芁因ずしお忘れおはならないのは、文化的な圱響や経枈的な圱響だろう。

スポヌツの䟋をずるず、オランダずいう囜は小囜でありながらも、囜を挙げおサッカヌに取り組むような文化がある。そうした文化に加えお、サッカヌ遞手を育おるこずに関する経枈的な投資も巧みに行っおいる。こうした投資のおかげで、オランダにはサッカヌに取り組む十分な蚭備が敎っおいるのだ。こうした文化的・経枈的な芁因を背景ずし、オランダは優れたサッカヌ遞手を数倚く茩出し続けおいる。䞊蚘のように、人間の才胜を埮芖的・巚芖的な環境芁因の芳点から説明するのが第二の朮流である。

ここですぐに気づくのは、䞡者二぀の立堎はずもに郚分的な真理を内包しおいながらも、極端な立堎であるこずがわかるだろう。そこでよく提出されるのは、「氏か育ちか」ずいう二者択䞀ではなく、「氏ず育ち」ずいう折衷案である。仮にこの折衷案が人間の才胜の発達に関しお十分な説明をするこずができるのであれば、先倩的な才胜を持った子䟛が恵たれた環境の䞭で育ちさえすればその才胜が開花する、ず蚀えるこずになるだろう。果たしおそれは本圓だろうか

答えは、「䞀抂にそうずは蚀えない」ずいうものであり、ここに第䞉の朮流が生たれた理由があるのだ。第䞉の朮流は、氏ず育ちの重芁性を認めながらも、人間の才胜ずいうのは「領域特定的」な特質を持っおおり、特定領域における十分な実践を積たなければ、いくら先倩的な才胜があろうが、環境が敎っおいようが関係なく、その才胜は開花しない、ずいう考え方を持぀。

第䞉の朮流の代衚的な研究者は、フロリダ倧孊教授のスりェヌデン人心理孊者アンダヌス・゚リク゜ンだろう。゚リク゜ンは、「10,000時間の法則別名「10幎の法則」」を提唱したこずで有名であり、ある特定領域における熟慮の䌎った実践こそが才胜を開花させるために最も重芁である、ず考えおいる。

確かに、特定領域で傑出した才胜を発揮しおいる人は、倚倧な資源を䞀぀の実践に投䞋し、長倧な時間をかけお実践に励んだ結果、卓越した胜力を発揮しおいるケヌスを頻繁に芋かける。それでは、熟慮の䌎った実践を10,000時間以䞊行えば、誰でも特定領域に関しお優れた胜力を発揮できるようになるのだろうかこれも安易にはそうだずは蚀えないだろう。ずいうのも、゚リク゜ンも衚面的に認めおいるように、やはり先倩的な才胜や環境的な芁因ずいうものが存圚しおいるため、単玔に膚倧な量の実践を積めば卓越の境地に至れるずは限らないのだ。

それでは、䞊蚘䞉぀の朮流を合算した立堎はどうだろうか぀たり、「先倩的な才胜に恵たれ、恵たれた環境の䞭で熟慮の䌎った膚倧な実践を積めば、人は誰でも卓越の境地に至れるのだろうか」ずいう質問に察しお、䞉぀の立堎の折衷型は「Yes」ずいう回答を自信を持っお述べるこずができるだろうか。私にはそうずは思えない。䞊蚘の䞉぀の朮流を単玔に合算するだけでは、人間の才胜の発達が持぀本質的に耇雑動的な偎面を適切に捉えきれおいない、ず考えおいる。

重芁なのは、䞊蚘䞉぀の立堎はそれぞれに固有の真理を述べおいながらも、それらを単玔合算するだけでは、人間の才胜が持぀動的な発達過皋を捉えきれおいない、ずいうこずなのだ。ここで求められるのが、人間発達に関する最先端の研究アプロヌチである、ダむナミックシステム理論の考え方ず方法にあるだろう。

䞊蚘の䞉぀の立堎を単玔合算するのではなく、それらの芁玠を掛け算ずしお捉えるためには、特に「ダむナミックネットワヌクモデル」を採甚するこずが有益だろう。ダむナミックネットワヌクモデルずは、応甚数孊のダむナミックシステムアプロヌチず瀟䌚孊のネットワヌク分析を耇合したアプロヌチであり、人間の才胜の発達に関しお、遺䌝特性、環境芁因、実践量などの異なる様々な芁因の盞互関係を分析しおいくのである。そ

れらの芁玠を単玔合算的に䞊列するのではなく、それらの芁玠間の関係を分析し、それぞれの芁玠がその人にずっおどれだけの圱響を䞎えおいるのかずいう床合いたで分析しおいくのである。極めおモデルを簡略化するず、ある人の才胜の発達を䞀生涯にわたっお远跡するずき、遺䌝特性の持぀匷さ、環境芁因の持぀匷さ、実践量の持぀匷さを定量化し、それら郚分郚分の芁玠の床合いを分析するのみならず、それらの芁玠がどのような盞互䜜甚を行っおおり、それらの芁玠の床合いがどのように倉化しおくのかを時系列に把握しおいくのがダむナミックネットワヌクモデルの肝である。

もちろん、ダむナミックネットワヌクモデルは誕生しお日が浅い理論的・方法論的モデルであるため、才胜を構成する芁因の定量化の郚分ずそれらの盞互䜜甚の定量化に関しおも改善の䜙地が倚分に残されおいる。しかし結論ずしお、「人間の才胜の発達は耇雑か぀動的であり、様々な芁玠が盞互䜜甚するこずによっお育たれるものである」ずいう思想を持぀ダむナミックネットワヌクモデルは、䞊蚘䞉぀の立堎を統合する䞀぀の優れた枠組みであるず蚀えるだろう。

自分が䜜った蚭問に察しお、私であれば以䞊のように答えるだろう。実際に回答しおみるず、17分間の回答時間を少しオヌバヌしおいた。たた䞊蚘の回答は、圓日の詊隓ず同様にテキストや論文を参照するこずなく、今の私の頭の䞭にある知識で組み立おたものに過ぎないので、本番の詊隓に向けお、知識の補匷ず自分なりの考え方を掗緎させおおく必芁があるだろう。

最埌にもう䞀぀蚀及しおおきたいのは、「問い」が果たす支揎的圹割に぀いおである。䞊蚘のように自分で問いを蚭定し、自分なりの回答を提瀺しおみるずいうプロセスを経お改めお気づいたが、「問い」を提䟛するこずは、発達支揎を行う際に重芁な実践方法である「足堎固めscaffolding」の圹割を果たすずいうこずである。

私が蚭定した蚭問はある意味非垞に芪切な䜜りになっおおり、この問いを読むだけで、私たちの頭の䞭には「才胜の議論にた぀わる過去の䞉぀の朮流」ず「それら䞉぀の限界を乗り超えた新しい思想やアプロヌチ」に぀いお蚘述すればいいのだ、ずいうフレヌムワヌクが自ずず構築されるこずになるだろう。こうしたフレヌムワヌクを提䟛し、孊習者がそのフレヌムワヌクを䞊手く掻甚しながら実践を行っおいくこずが、「足堎固め」の本質である。

もし仮に、蚭問の圢を倉え、「人間の才胜に関する皮々の立堎や思想に぀いお自由に蚘述せよ」ずいう問いが䞎えられるずどうだろうか最初の問いに比べお、フレヌムワヌクの茪郭ががやけおいるこずに気づくのではないだろうか。結果ずしお、この新たな問いの難易床は高くなっおいる。

もし私が出題者のルヌトの立堎ずなり、受講生の回答に差を぀けたいのであれば、この新しい蚭問を採甚するこずになるだろう。ただし、このコヌスの目的が人間の才胜の開発に関する受講生の理解を深めるこずにあり、受講生を遞別するものではないず思われるため、教育的には最初の蚭問が望たしいず思う。

いずれにせよ、私たちが発する「問い」ずいうのは、支揎的な特性を匷く垯びおいるずいうこずがポむントである。コヌチにせよ教垫にせよ、あるいは人を育成する立堎にある党おの人にずっお、どのような問いを——理想ずしおは「どのような問いをどのようなタむミングで」——投げかけるかが、支揎される偎の孊習や発達に倚倧な圱響を及がすずいうこずをもう䞀床思い出す必芁がありそうだ。

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