天気雨というのは本当に美しいものだとつくづく思う。先ほど、突然天気雨が降り出した時、私は思わず仕事の手を止めた。すぐに窓の方に駆け寄り、天気雨が降り止むまでその一部始終をただ眺めていた。
数分後、雨が降り止み、道路の地面には雨が降ったという形跡だけが残っている。その形跡だけを見た人は、仮にそれが天気雨によってもたらされたものであると気づいたとしても、その天気雨がもたらした味については知る由も無いだろう。
その道路に残された雨の形跡は、鬱蒼とした雰囲気の中で降り注いだ雨によってもたらされたのではなく、心のしこりを解きほぐすかのような恍惚とした雰囲気の中で降り注いだ天気雨がもたらしものなのだ。
このことは私たちにある重要なことを教えてくれる。ダイナミックシステム理論における「等結果性(equifinality)」という重要な概念について聞いたことはあるだろうか?この概念を一言で述べると、動的なシステムにおいて、最終的なシステムの状態が同じであったとしても、そこには全く異なる初期の状態があったかもしれず、また最終的な状態に至るまでの道筋は実に多様な場合がある、ということを示すものだ——「等結果性」というのは元々、一般システム理論を提唱したルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィが最初に提出した概念である。
これは、最終的に同じ結果に至ったとしても、その出発点やプロセスが異なる場合がある、という当たり前のことを示しているに過ぎないと思われるかもしれない。確かにそれはごくありふれた表現なのであるが、動的なシステムの特性を考えると、これは驚くべきことなのである。
動的システムというのは、構成要素が絶えず相互に影響を与えながら複雑な挙動を示すシステムである。人間の脳や心、天気や金融市場などはまさに動的なシステムであり、初期値が異なっていても、そしてどんなに複雑な発達プロセスを辿ったとしても、最終的には全く同じ状態に行き着くことがある、というのは驚くべきことではないだろうか。
ここで注意が必要なのは、一つの動的なシステムにはその挙動を決定づける固有の法則が存在しており、初期値を変えるとシステムの挙動に多大な影響を及ぼし、当然ながら最終的なシステムの状態が変わる。ダイナミックシステム理論において、この特性は「初期状態依存性(initial condition dependence)」と呼ばれる。
一見すると、動的なシステムの特徴である等結果性と初期状態依存性というのは相矛盾するように思える。私自身、ダイナミックシステム理論を学び始めた頃は、これらの特徴は互いに矛盾しているのではないかと思っていた。しかし、それらの概念は共存在が可能なのだ。
簡単に述べると、初期状態依存性は全ての動的なシステムに常に当てはまる特徴であるが、等結果性というのは常に当てはまるものではない。つまり、等結果性というのは、動的なシステムにおいて、最終的なシステムの状態が同一であっても、そこには全く異なる初期の状態や最終的な状態に至るまでの多様な道筋が存在する場合がある、という可能性を示すものなのだ。
要するに、この天気雨が教えてくれたことは、システムの最終的な結果のみを見るのではなく、そのプロセスを見ることの大切さである。天気というのはまさに動的なシステムであり、そこに等結果性が生じているとすれば、仮に最終的な状態は同じでも、最終的な状態に至るプロセスの中での挙動は多様だ、ということである。
仮に等結果性が存在していない場合にせよ、天気がそもそも動的なシステムであるがゆえに初期状態依存性を持ち、その挙動は常に複雑かつ多様なのである。
これはまさに発達のプロセスを把握し、プロセスに介入していくことの重要性を暗に示しているのではないだろうか。確かに、初期値を特定し、システムの法則性を掴んでダイナミックシステムアプローチを用いれば、システムの最終的な状態を事前に把握することが可能である。
だが、個人の発達支援も組織の発達支援もまさにプロセスに介入することによって、新たな法則性をそのシステムに構築していくことが可能になるのだ。つまり、システムの構成要素間の関係性に働きかけ、システム全体の挙動を決定づける法則性を書き換えていくことが可能なのだ。
このように、動的なシステムが持つプロセスと構成要素の関係性へ介入していくことが発達支援の肝だろう。このようなことを先ほどの天気雨が私に教えてくれたのだ。同じ雨の痕跡だとしても、一方に虹の姿を見ることができないだろうか。