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350. 母国を離れた理由の断片


何気なく先月末に終焉したリオ五輪の結果を眺めていた。眺めていたのはメダル獲得に関するランキングデータである。その結果を眺めていると、今回のオリンピックにおける日本の健闘は素晴らしかったのではないだろうか、と思う。五輪中に日本でどのような反響が起こっていたのか不明であるし、最終的な結果について世間からどのような反応があったのかも定かではない。

日本の躍進を横目に、目に入ったのは上位二つの国である。それは米国と英国だ。米国と英国の名前を見た瞬間、両者の母国語が英語であることに気づいた。米英の覇権は、言語世界のみならずスポーツの世界にまで及んでいるのか、と少しばかり身構えざるをえない自分がいた。

先日の留学生歓迎セレモニーでの学長の挨拶からも、米英の大学が支配的なアカデミックの世界になんとか組み込み、自らの地位を確固たるものとしていく意思を感じていたのだ。アカデミックの世界では特に米英の覇権は顕著であり、そこには英語という言語の問題が密接に関係している。

とかく大学の評価に関しては、英語での研究の質や量が極めて重要な鍵を握り、英語でのプログラムの充実も重要な要素となる。そう考えると、母国語である英語を活用できる大学が圧倒的な優位性を最初から持ち、英語を第二言語とする大学は多大な苦労を伴う。

そうした状況の中、フローニンゲン大学には尊重すべき点が幾つかある。米英の大学が上位をほとんど占めている各種の世界大学ランキングの上位100校にフローニンゲン大学は常に入っている。オランダ北部に位置するこの小さな街の大学がそうした高評価を得ている裏には、並々ならぬ大学側の努力があるのだと思う。

往々にして、こうした世界大学ランキングなるものの順位を浅はかに上げようとする場合、単純に英語での研究を推進したり、英語での教育を充実させることだけに特化してしまいがちである。私は、そうした浅薄な試みには害があると思っている。

仮にランキングを上位に上げることができたとしても、何か大切なものを失う危険性が孕んでいると思うのだ。特にそれは、自国の精神文化だろう。思うに、自国の精神文化は高度な言語に支えられることによって初めて、その深さと価値を持つと思うのだ。ある意味、学術言語というのは自国の精神文化をより涵養させる高度な言語体系だと思う。

そうした言語体系を安易に外国語である英語に置き換えようとすると、自国の精神文化が根元から弱体化されてしまうのではないか、と相当危惧している。この点に関して、フローニンゲン大学に見習うべき箇所は、この大学は英語での研究や教育の質と量を向上させる努力をしているだけではなく、母国語であるオランダ語での研究と教育に関しても質と量を向上させようと日々努力しているのである。

正直なところ、私はオランダ語を本格的に学ぶことをここ最近までやはり躊躇していたのだ。なぜなら、オランダ語は世界でも話者が少ないマイナー言語であり、私が所属するプログラムは全て英語で事足りるからである。

しかしながら、英語で生活を乗り切ろうとするのは、母国語がオランダ語であるこの国の文化に対する単なる侮辱であると思い、さらには話者の量の問題ではなく、オランダ語が内包している質の高い豊饒な言語世界に気づかされたのである。

上述の通り、フローニンゲン大学の教授人は英語のみならず、母国語のオランダ語でも学術論文を執筆している。また歴史を遡ると、スピノザやデカルトなどもオランダ語で自身の哲学書を数多く残しているのだ。それらの事実を知った時、オランダ語は高い精神性を獲得した言語なのだとわかり、オランダ語のクラスを本格的に受講しようと思ったのだ。

ここからなぜだか、自分が母国を離れた理由の断片が浮き上がってきた。今、こうして日本語を書いている私は、決して自分の日本人性を拭い去ることはできず、自己の根元には日本語の精神文化が息づいているのである。そうしたことを考えた時、自分が守るべきものは母国の精神文化なのだと気づかされたのだ。

母国の精神文化が弱体化することは、自己を支える私の根元を腐らせることにつながると思わされたのだ。何かを守るためには、それを侵食する対象を凌駕するだけの強靭さが何よりも必要である。つまり、私にとって母国の精神文化を守る何よりの実践が、日本語と英語のどちらも共により強靭なものにしていくことにある、と気づいたのだ。

これはどちらか一方であってはならない。日本語だけを鍛錬することや英語だけを鍛錬することは、あまりにも浅薄な実践だと思うのだ。しかし日本では、英語の書き言葉をネイティブを上回るレベルで涵養しようとする人は少ないだろうし、そもそも日本語を今よりも向上させようとする人も少なすぎるのではないかと危惧している。

結局、そのような事態では日本の精神文化をより育んでいくことも守ることもできないと思うのだ。フローニンゲン大学の試みを見るにつけ、私を含めた多くの日本人は、英語と日本語をさらに深めていこうとする圧倒的な努力が欠けているのだと思う。このような手ぬるい努力で自分の内面世界と自国の精神世界を深められるとは到底思えない。

オランダという国に来たのは、オランダ語という第二外国語を媒介にして英語と日本語を厳しい環境の中で鍛錬するためであったのだと思う。そして真の意味で母国の精神文化を守り、より育んでいくために、私はオランダに来たのだ。

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