いよいよ本格的に自分の中で新しい何かが始まるのを感じる。実際に、これまでには見えなかった自分の側面や新たな行動への心の動きを容易に見て取ることができるのだ。新しい挑戦に乗り出すことによって、やはり自分の中で新たな運動が生じるらしい。これは実に興味深い。
今日は非EU留学生のセレモニーに参加してきた。昨日の奨学金授与に関するセレモニーは20人ばかりの小規模のものであったが、今日の非EU留学生のセレモニーは随分と人が多かったように思う。それもそのはずで、非EUから来た学部生、修士生、博士生が集まるセレモニーだったからである。
そう考えると、明日のEU圏と非EU圏を含めた全ての留学生が一堂に会する留学生歓迎セレモニーは相当な人数になるのだと予想される。
今日のセレモニーは歓迎会という意味合いよりも、非EU圏の留学生に必要な各種の事務処理を全て完了することに重きが置かれたものである。具体的には、住民登録や銀行口座の開設、来た国によっては結核の予防接種などである。
“Academy Building”と呼ばれるメインの建物でこのセレモニーは催され、何人かの留学生と話をする機会があったが、やはり大抵の人達はフローニンゲンに来たばかりらしい。正直なところ、一ヶ月前にこの街に来てすでに各種の手続きを自分で進めていた私にとって、ここで行う必要な手続きというものはほとんどなかったのだ。
実際に、ズヴォレの街で申請していた居住証明カードを受け取るだけでよかったのだ。そのため、今日のセレモニーに参加する意味はほとんどなかったのであるが、今日ここに来たおかげで一人の日本人留学生と知り合うことができた。
彼は京都大学の学部生とのことであり、六ヶ月間ほどフローニンゲン大学で学びを得るということを私に教えてくれた。京都大学は理系に関しては以前からフローニンゲン大学と留学提携を結んでいたそうだが、文系に関しては今年から留学提携を結んだそうである。彼は京都大学の文系から派遣された第一期生かつ唯一の学生とのことである。
大阪大学は随分以前からフローニンゲン大学と留学提携を結んでいたようであるし、一橋大学も確か今年から経済学部の交換留学制度をフローニンゲン大学と提携した、ということを耳にした記憶がある。いずれにせよ、彼のように学部生の多感な時期に国外で学びを得ることができるというのは、実に大きなことだと思う。
留学をすることに関して決まった年齢など存在せず、幾つになっても国外で学びを得るというのはその人に大きな実りをもたらすと思うのだ。ただし、各年代によって、より厳密にはその人の内面の成熟に応じて、留学というのは質的に異なる実りを私たちにもたらすと考えている。
そのため、私は彼のような20代前半でしか得られないものを得ることはできないだろうし、逆に彼は私の年齢でしか得られないものを得ることはできないだろう。各年代や各人の成熟の度合いに応じて、その時にしか得られない経験というものが「留学」という事象に不可避に内包されているのである。
この年齢の、この発達段階でしか経験し得ぬ事柄一つ一つを逃すことなく、それが自分にとってどのような意味を持つものであり、どのような変容を自分にもたらすのかを絶えず検証し続けたいと思う。五年前に米国に留学した時と今回の留学とでは、経験される事柄も経験に対する意味づけも全く違ったものになるというのは明白である。
ただし、その違いが今この瞬間には全く未知であるということが、これからの留学生活の探究的醍醐味なのだと確信している。2016/8/31