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343. 継続的に書くために


日々の生活の中で湧き上がる自分の思念や感情を文章という形で表現しなければ、自分が現在抱えている課題を克服することはおろか、深く生きるという考えに基づいた生の前進もありえないと気づいてから、文章を毎日少しずつ書くことが習慣化している。この実践が習慣化してから、数ヶ月が経つであろうか。

継続的に書くという実践の意義を感じながらも、現在、文章をあまり書きすぎないように自分を抑え続けている。具体的には、一日に4000字程度の文章を書くことに留めたほうがいいと感じているのだ。

確かに、一日に4000字程度の文章を書き続けていけば、一ヶ月で単行本一冊分ぐらいの文字数となる。しかし、これくらいの量だと全く問題にならずに日々書き続けていくことができると感じている。

思い起こしてみれば、拙著『なぜ部下とうまくいかないのか:自他変革の発達心理学』は非常に短い期間で書き上げた作品であった。編集者の方の支援もあり、この書籍の全体像や物語展開について頭の中で比較的鮮明なイメージ図を描けていたことや、何よりロバート・キーガンの発達理論はこれまで数年間継続的に取り組んでいた理論モデルであったため、逐一文献に立ち返る必要もほとんどなかったのだ。

そうした状況にあることが理解できていたため、私は2015年のクリスマス明けから五日間でこの書籍を書き上げようと決心していた。実際に、一日一章、20,000字を五日間にわたって書き続けることであの書籍が誕生したのである。

この時の経験から、一日に20,000字を書くことは自分の集中力の限界であると感じたし、この分量を一生涯にわたって毎日書き続けていくことは不可能だと気付いたのだ。私にとって何よりも重要なのは、突発的に一つの仕事を完成させることではなく、長大な時間にさらしながら時間をかけて継続的に一つのことに取り組み続ける、ということなのだ。

これは多分に私の性格や資質から来ているものだと思う。私は早く走ることを好まず、ゆっくり長く走ることを好むのだ。これは文章を書くという実践にも当てはまることに最近気づいたのだ。

要するに、文章を一日に大量に書くというのは自分の特性に合致していないのである。何より、衝動のみに任せて文章を書こうとすると、それによって継続性という貴重な波が途絶える気がするのだ。

そう考えると、一日に二つや三つの記事を合計で4000字程度書くことが今の自分にとっては適量なのである。自分の心が生み出す書くという継続的な波に乗ったものであれば、とにかくテーマは何であっても良いと思っている。

重要なことは、呼吸を毎日するように文章を書き続けていくことである。こうした継続的な実践によって初めて、自分の身に起こる変化の波を絶えず掴みながら生きていくことができるのだと思うのだ。

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