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328. 継続


昨夜はいつも通り十時前に就寝したが、いつもより睡眠時間が長く、七時に起床した。旅で得られたものを自分の内側で咀嚼するためには時間がかかると思っていた通り、その作業は睡眠中においても徐々に進行していることを感じる。

今朝のフローニンゲンの天候は、こちらに来てから一番の快晴であり、日中の気温は30度近くにも達するようである。雲ひとつなく晴れ渡る紺碧の空を眺めながら、午前中に近くの公園へランニングをしに行こうと思う。

旅行中は散々に歩き回ったため、足腰が逆に鍛えられたと思うのだが、それでも自分の足でフローニンゲンの街を走ることによって、地に足の着いた生活を再び開始させるという儀式的な意味を今日のランニングに持たせたい。以前、新しい土地に順応する秘訣として、その土地の食べ物を摂取することを心がけることにあると書いたが、それと同時に、自分の足でその土地を歩いたり走ったりすることも重要なことだと思うのだ。

昨日、私の論文アドバイザーを務めてくださるサスキア・クネン先生の論文を読みながら改めて驚かされたのは、20年以上も前からクネン先生はダイナミックシステム理論を活用した成人発達研究に従事していたということである。これはカート・フィッシャーやポール・ヴァン・ギアートにも当てはまることであり、彼らは今から数十年も前から複雑性科学と発達科学を架橋させる試みに従事していたのである。

そこから長い時を経て現在に至っているが、この研究領域の進歩は想像以上に緩やかであると思っている。確かに様々な研究手法が誕生し、それによって理論も洗練化の方向に向かっているのは間違いないだろう。しかし、現在でも通用している概念や理論の多くは、実は今から10年や20年以上も前に提出されていたものなのである。

そう考えると、もしかしたら科学全般に当てはまるのかもしれないが、この研究領域の進歩は思っているほど速くなく、多様な研究者が共同しながら長大な時間をかけることによって徐々に進歩していくものなのだ、という思いに至った。

数日前にリオ五輪が終焉を迎えた。競技の種類にもよるが、一般的にアスリートとしての寿命は短いのだと思う。逆に研究者というのは活動期間が長く、寿命の長い職種だろう。私の毎日の生活は睡眠・食事・運動を含めて、アスリートと同様に管理されたものになっており、心の中では自分のことを「知性発達科学者」や「コンサルタント」というよりも「アスリート」だと認識している。

この認識の下、長く研究活動という競技に従事していくことが自分の中では何より重要なことであるため、単発的に負荷のかかり過ぎるトレーニングを行うのではなく、適度な負荷を一生涯にわたってかけ続けるようなトレーニングを継続させていくことが必要だと考えている。

どんなに小さなことでもいいので、とにかくそれを長く継続させていくこと。自分の能力や性質を考えると、とにかく小さなことを長く継続させていくことしかできないのだと思う。その先に、この間の欧州小旅行で目の当たりにしたような、小さなことを長大な時間をかけて積み上げていくことによってしか生まれえぬ創造物が形となって現れるのかもしれない。

未だ輪郭すら見えない自分独自の創造物の創出へ向けて、今日も走る、今日も読む、今日も書く。2016/8/24

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