ニューシャテル湖畔にある宿泊先のホテルから山道を登って辿り着いたデュレンマット美術館でゆっくりした後、午後からは再び山を下ってニューシャテルの街中に戻って行った。
山道を降りる道中、ニューシャテル湖の裏手に雄大な山々が広がっており、地理に疎い私は、それらの山々がアルプス山脈であることを後から知った。逆に知識がなかったからこそ、先入観を抱くことをせずにアルプス山脈とニューシャテル湖が織り成す景観美を味わうことができたのかもしれない。
そうした景観美を堪能しながら、街中まで降りてきた。午後一番に訪れたのは「ニューシャテル自然史博物館」である。
私に多大な影響を与えてくれた発達科学者のジャン・ピアジェは、ニューシャテル湖の生き物を研究する生物学者から科学者としてのキャリアを始めており、ニューシャテル近辺にはどのような生き物が生息しているのかを含めて、生物の進化の過程について資料を見ながら理解を深めたいと思ったため、私はこの博物館を訪れた。
私:「こんにちは(フランス語)。」
受付の女性:「こんにちは。VOUS ÊTES ÉTUDIANT ?」
私:「私はフランス語が話せないんです。入場料はおいくらですか?(英語)」
受付の女性:「あぁ、学生は4スイスフランで、大人は8スイスフランです(英語)。」
私:「(九月からの身分は学生なんだけどな・・・)大人料金でお願いします。スイスフランを持っていないので、ユーロを使えますか?」
受付の女性:「基本的にはスイスフランしか受け付けていないんです・・・。コインはダメですが、ユーロ紙幣ならなんとかなりますよ。」
私:「コインはダメなんですね・・・。あいにく、今大きい紙幣しか持っていないんです。それではクレジットカードで支払いたいのですが?」
受付の女性:「クレジットカードも受け付けていますが、スイスの銀行と提携されているものしかダメなんです。ごめんなさい。」
私:「そうですか。であれば、残念ですけどまた次回来ますね。」
受付の女性:「本当は今日見ていかれたいですよね?」
私:「ええ、本当は。」
受付の女性:「であれば、今は他のお客さんもいませんし、無料でいいですよ。私からのプレゼントです(笑)。」
私:「本当ですか!?ありがとうございます!でも5ユーロ紙幣ならあるのでこれだけでも・・・。」
受付の女性:「いえいえ、それも結構です。博物館を楽しんできてください♫」
受付の女性から思わぬ嬉しいプレゼントを贈ってもらい、有り難いことになんと博物館に無料で入場することができたのだった。無料で入場させてもらったのだからあまり長居はできないと思っていたのだが、展示されているものが大変面白く、先ほどのデュレンマット美術館と同じくらいの時間をこの博物館で過ごすことになった。
特にニューシャテル近辺に生息している昆虫の剥製に強い興味を示し、備え付けの顕微鏡を使ってたくさんの昆虫の剥製を眺めていた。また、実際に生きている爬虫類や小動物も館内で飼育されており、卵から孵ったばかりのトカゲに釘付けになっていた。
その他に興味をそそられたのは、珍しい鉱物たちである。多様な種類の鉱物をこれまた顕微鏡を使って眺めていると、小学校四年生の時の夏休みの自由研究で鉱物採集をしていたことを思い出した。両親と山口県内にある様々な河川を訪れ、そこで鉱物を採集し、父と市の図書館に行って色んな図鑑で調べていた記憶が蘇ってきたのだ。
私は自由研究と読書感想文に対してはとりわけ手を抜く方であったが、この時の研究は担任の先生から認められ、研究内容が市の自由研究選考にかけられたのだった。それもそのはず、この自由研究に力を入れていたのは私ではなく、熱心に鉱物を採取していたのは途轍もない凝り性の父だったのだ。また、図書館でも図鑑を人一倍真剣に調べていたのは私ではなく父だったのだ。
改めて当時の父の協力に感謝をしたが、それ以上に感謝をしたのは、情熱を持って一つのことに取り組む姿勢であった。こうした姿勢は父のみならず私の母も持っていることに改めて気づかされた。
両親が私に施してくれた最大の教育はまさに、一つのことに全身全霊を傾けて探究するという態度にあったのだと思う。一つのことに専心して取り組む尊さを言葉ではなく、両親の実際の取り組みや姿勢から学んだことが、間違いなく今の自分を形作っていることを実感したのだ。
まさか幼少時代のこうした記憶がスイスのニューシャテルという街で蘇ってくるとは思いもよらなかった・・・。その次に訪れたニューシャテル美術歴史博物館に向かうまでの道すがら、私の頭の中には探究者としての両親の姿しかなかったし、両親から受けた影響の全てが記憶と共に自分の全身を駆け巡るかのような感覚に陥っていたのだった。