本日のシュツットガルトは晴天であった。早朝八時前の肌寒い気温の中ホテルを出発してみると、昨日とは違った顔のシュツットガルトを見ることができた。
昨日の日中は、街中に観光客が溢れ、少しばかり落ち着かないような雰囲気を醸し出していたシュツットガルトの街も、早朝のこの時間であれば観光客はほとんどおらず、とても静かである。眩しく輝く朝日を浴びながら、シュロス広場で少しばかり立ち止まり、新宮殿を眺めていた。
どの時間帯にどのような気持ちでその場にいるかによって、その場から感じられるものがこれほど異なるものなのだ、と改めて認識した。昨日とは異なる印象を与えてくれた新宮殿に挨拶をし、私はシュツットガルト中央駅へ向かった。
シュツットガルト中央駅へ着くとすぐに、新鮮なフルーツの盛り合わせ、アボカドサンドイッチ、コーヒーを購入し、列車へ乗り込んだ。いよいよニューシャテルへ向かう時がやってきた。スイスのこの街は、発達心理学に多大な貢献を残したジャン・ピアジェの生誕地である。
私は兎にも角にも、自分の探究領域である発達科学の礎を築き上げたピアジェが生まれたこの土地を、自分の目で見てみたいと強く思っていた。人口わずか三万人のこの小さな街を知る人はそれほど多くないかもしれないが、私はこの街を実際に訪れることによって、自分の中にいるピアジェをより確固とした存在にしたかったのだ。
ピアジェは早熟にも13歳の時に軟体動物に関する論文を発表し、ニューシャテルの博物館の館長に推薦されたが、ピアジェがわずか13歳であったことからこの話は白紙になったというエピソードは非常に有名である。ピアジェがこの時の論文を執筆するために軟体動物を捕まえたニューシャテル湖を近くで実際に見てみたい、そんな思いが以前から沸々と湧いていたのだ。
後五時間ほどでその念願が叶うのだと思うと、気分が多いに高揚してくる。シュツットガルトからニューシャテルへ行くには、まずカールスルーエという比較的規模の大きい工業都市で乗り換えをする必要がある。そこから今度はスイスのオルテンで乗り換えをすれば、ニューシャテルへ着くことができる。
ライピチヒで聞いたメンデルスゾーンの『真夏の夜の夢』の印象があまりに強く自分の内側に残っており、結局、シュツットガルトからニューシャテルまでの約五時間の間、ずっとこの曲を繰り返し再生していた。
音楽というのは書物と同じように、繰り返し触れれば触れるほど、そしてその接触が真剣であればあるほど、新たな経験を私たちにもたらしてくれる不思議な力を持っている、と改めて思わされた。
興味深いことに、約12分間のこの曲を20回ぐらい繰り返し聴いていた頃だっただろうか、急に曲に対する印象が変わったように感じたのだ。より正確には、曲が開示してくれる音楽世界の階層に変化が生じたのを掴んだのだ。
その変化の触媒を果たしたのが、実はカールスルーエからオルテンの途中で停車したスイスのバーゼルという駅だったのだと思う。この駅に着くや否や、携帯の案内メッセージが届き、ドイツからスイスという新たな国に足を踏み入れたことを知った。
実際のところ、携帯のメッセージを受け取る前から、自分がドイツとは質的に異なる雰囲気を持つ空間に近づいていることを察知していた。私の肉体の目に映る風景が徐々に違ったものになっていたのを感じていたし、心の目に映る心象風景も異なるものに変化しているのを感じていたのだ。
ドイツからスイスへの身体的・精神的な移行に足並みを揃える形で、メンデルスゾーンの曲が変化するというのはとても不思議な現象であった。
スイスを訪れたのは今回が初めてであるが、車窓から見える景色は良かれ悪しかれ自分がイメージしていたものと非常に近かった。ただし、一つだけ歴然として異なっていたことがあった。それは、前々から抱いていたスイスに対する私のイメージが自分の内側に喚起する感情と、実際にスイスという国を訪れることによって全身でそのイメージを捉えた時に湧き上がってきた感情は全く別種のものだったのだ。
全身からじわじわと込み上げてくる感情は、どこかフローニンゲンからリアーに向かっていた時に湧き上がってきた「生きることに対する侘び寂び」に近いものがあった。
そしてバーゼルからオルテンに到着し、最後の乗り換えを行った。乗車した列車はスイスの国鉄なのだろうか、ドイツで乗っていた電車とはまた種類が異なり、座席のスペースがほぼ全て四人掛けの広々としたものになった。
ただし、乗客はそれほど多くなかったので、四人掛けの座席を大抵どの人も一人で使っている。私も一人で腰掛け、その後は車窓から見える景色に釘付けになっていた。
数十分後、列車がトンネルに入った。暗いトンネルを抜けるとそこは光り輝く広大な湖であった。
この湖こそ、ジャン・ピアジェを育てたニューシャテル湖だ。スイス最大のこの湖は、雲の合間から差し込む太陽光を反射して湖面を輝かせながら、私たち列車の乗客を出迎えてくれた。
ニューシャテル湖からの思いがけないお出迎えと共に、湖を取り囲む雄大な山々が生み出す景観美に息を呑み、私はついにニューシャテルという街に降り立った。駅から出た瞬間、これまでの人生で訪れた世界中のどの街とも違う空間がここに広がっていることを即座に感じたのだった。