列車が最終停車駅のシュツットガルトへ近くづくにつれ、ライプチヒと比べて気温が高くなってきていることに気づいた。その変化に気づいたとき、自分が欧州をだいぶ南に下ってきたことを知った。
地図を確認すると、現在地はパリと同じぐらいの緯度にあり、数日後に訪れるパリもこのぐらいの気候なのかもしれないと想像する。シュツットガルトの気温がこれまで訪れた欧州の土地よりも高くなっているとはいえ、最高気温は25℃ぐらいだ。
シュツットガルトに到着後、上着を脱ぎ、半袖になって観光を始めた。まずは駅から徒歩15分ほどのところにある宿泊先のホテルへ向かうため、メイン通りの一つである “Königstraße”をひたすら直進した。
この通りを歩きながら思ったのは、シュツットガルトの街も随分と観光地化されているということである。主要都市のショッピング街であればどこにでもあるような店が乱立しており、これらを眺めながら歩いている段階では、まだシュツットガルトらしさというものがあまり感じられなかった。
しかし、通りをしばらく進んだ後に視界に飛び込んできた湧き出る泉のある広大な広場は、シュツットガルトを訪れた観光客を癒す憩いの場としての役割を見事に果たしていると感じさせられた。ここは「シュロス広場」と呼ばれており、先ほどの店が乱立する空間とは異質のものを感じたため、これはシュッツガルトという土地が創出する固有の何かを持った場所であるとわかった。
そして圧巻だったのは、シュロス広場の奥にたたずむ「新宮殿」と呼ばれるバロック式の建造物であった。遠目から見ても、この宮殿が醸し出す存在感が際立っており、ゆっくりと近寄ってみることにした。
宮殿全体が一つの美を体現していたのはもちろんなのであるが、私が注目していた箇所は別にあった。それは宮殿を見上げた時に見えた、屋根の上に取り付けられていたいくつもの彫刻であった。
一つ一つ顔も形も違う彫刻を見て、いったい誰がどのような思いでこれを創作したのかが気になっていたのだ。ほぼ直感的に、この宮殿全体の美を支えるためには、これらの彫刻が不可欠であることが分かった。
私たちはとりわけ過去の偉大な表現者のみに注目しがちだが、名もない表現者たちの努力と功績を決して忘れてはならないのではないだろうか。ライプチヒで偉大な音楽家たちの博物館を巡る最中、多くの人にとっては名前も知らないような無数の音楽家たちがそれらの偉大な音楽家の影に存在していたことを知らされた。
そして偉大な音楽家たちはそれらの無名の音楽家たちとの交流を通じて多大な影響を受け、現在に残る偉大な作品を輩出していったことを知る。決して偉大な人物や偉大な作品のみを見てはならない。その人物や作品の奥の奥にある真実を見なければならない。そんなことを思ったのだ。
シュロス広場にある新宮殿にそのようなことを考えさせられ、ホテルのチェックインを済ませてヘーゲル博物館へ向かった。
ホテルから徒歩数分のところにあるこの博物館は、入場料が無料であり、哲学者ヘーゲルにまつわる貴重な資料を見ることができる。
先ほどの感覚がそっくりそのまま残っていたため、ヘーゲルに関する資料を眺めながら、ヘーゲルを取り巻いていた人たちや時代について思いを巡らせていた。間違いなくヘーゲルの友人であった哲学者のシェリングや詩人のヘルダーリンは、ヘーゲルの哲学思想に多大な影響を与えている。
しかしながら、それだけでヘーゲルの哲学体系が生み出されたとは到底考えられず、彼の思想を育むことに貢献した名もない人たちや取り巻く環境についてより多くのことを知りたいと思わされた。そのような思いと共に博物館から外に出た時、このシュツットガルトという街から哲学者ヘーゲルが生み出された秘密を自分はまだ全く掴んでいないと分かった。
偉大な知性を育む場の特徴というテーマは、これからの自分の重要な探究テーマになりそうである。