ライプチヒの二日目の午後に訪れたのは、バッハ博物館である。バッハ博物館について紹介する前に、ライプチヒが本当に「音楽の街」と形容されるにふさわしい特徴を一つだけ紹介したい。
実は昨日のシューマン博物館を訪れた際に、受付の女性から一枚の薄いパンフレットを頂いていたのだ。そこには “Leipzig Music Trail”と書かれており、ライプチヒの街には「音楽の道」なるものがあり、文字通り、道にバイオリンの弦のような形をしたオブジェが埋め込まれており、それが進む方向を示してくれる矢印のような役割を果たしているのだ。
事前調査によって、ライプチヒの街はバッハ、メンデルスゾーン、シューマンという三人の代表的な音楽家が活躍した場所だという知識を取り入れていたが、音楽の道には23箇所のポイント地点があり、それら三人以外にも様々な音楽家が活躍していた土地であることを教えてくれる。
23箇所のポイントを全て巡ったあとに、バッハが音楽監督を務めていた聖トーマス教会にまず立ち寄った。息を飲むステンドグラスと壮大なパイプオルガンが存在するこの教会で、今から300年近く前にヨハン・セバスティアン・バッハという偉大な音楽家が音楽を奏でていたことを思うと、どこか感慨深いものがある。
その余韻に浸りながら、聖トーマス教会の横にあるバッハ博物館に足を運んだ。おそらく、このバッハ博物館が設備の観点と所蔵資料の観点からすると一番優れたものなのだろう。事実、300年近く前にバッハが手書きで残したいくつもの楽譜を含めて、貴重な資料が多数所蔵されており、資料解説のオーディオプログラムも非常に充実していた。
しかし正直なところ、メンデルスゾーンやシューマンと比べてバッハが自分にとって一番身近な存在だと思っていたのだが、決してそうではないことを痛感させられたのだ。というのも、バッハの音楽世界が今の自分の世界観を遥かに凌駕するものだったからだろうか、先に訪れた二つの博物館に比べて、こみ上げてくるような大きな感動はほとんどなかったのである。
バッハという音楽家は、私の想像を遥かに超えた次元にいるのかもしれない。バッハが毎週少なくとも一つの曲を作曲することによって、美の体系的な創出法則を発見し、超越的な音楽世界に辿り着いたように、私も絶えずこの世界に何かを生み出すような創作活動に従事していかなければならないと思った。
博物館で得られたのは、どこか重々しく、濃密な塊のようなものが私の全身に纏わりつくような感覚であった。これはバッハが私に授けてくれた課題なのかもしれない。この課題をオランダに持ち帰り、今こうして感じている重厚かつ濃密な塊の正体を突き止め、時間をかけてこの感覚を消化していく必要があるだろう。
ライプチヒという歴史ある街は、気持ちの良い感覚のままでは私を帰してくれなかったのだ。バッハから与えてもらった課題を抱え、明日からシュツットガルトに滞在する。