早朝から色々あったが、無事にリアーについた。ドイツに足を踏み入れたのは、これが人生で初めてであるが、街中の雰囲気はオランダと非常に似ており、まだオランダ語に習熟していない自分にとって、ドイツ語とオランダ語は一瞬見ただけでは区別がなかなかしにくいと思った。
今回の欧州小旅行は、電車の切符は全て事前にE-ticketの形で入手しておいたので、切符を買う手間が省けて非常に楽である。初めて訪れる駅では迷う危険性や切符売り場で並ばされる可能性もあるため、事前にE-ticketを購入しておくことは、何が起こるかわからない旅の進行を速やかなものにしてくれる、と満足気な表情を一人で浮かべながらリアーの駅に入っていった。
だが、フローニンゲンでの欧州生活が始まってからの二週間の記憶が走馬灯のように蘇り、この満足気な表情は悲劇を引き起こしうるものであると自分を戒め、武士の表情に切り替えてブレーメン行きの電車を待つことにした。
予定時間よりもだいぶ早くブレーメン行きの電車が到着し、すかさず電車に乗り込んだ。日本の電車とは違い、ドイツの電車もオランダの電車と同様に、席のスペースが広く、乗客も基本的に多くないので立って乗車することはほとんどない。
昨年東京にいた時に何回も満員電車に乗ることになってしまい、そうした状況をこちらの人はどのように受け止めるのだろうかと気になっていた。ただし、こちらの電車は東京都内の電車のように数分単位でやって来るようなものではなく、呑気な感じといえばそれまでだが、こちらで流れている時間感覚に忠実になれば、この運行間隔が妥当だろうと思う。
席に座りながらそのようなことをしばらく考えていると、電車が出発した。ブレーメンでスポーツの大会か何かあろうのだろうか。スポーツウェアを身にまとい、運動用具を背負っている小学生の団体と列車に乗り合わせた。車内の中で元気に騒いでいる小学生を見て、こうした姿は世界共通だなと微笑ましく思い、自分もそういう時代があったなと懐かしく思った。
「抽象的な記号の世界にまだ入ってはダメだ。この時期はこのように全身で騒ぎ散らさないといけないのだ。でなければ将来どこかで意識の発達が止まってしまう」と思ってると、車掌が切符を確認しにやって来た。
車掌が後ろ三人の切符を確認している気配を背中から感じ取ったところで、満足気な表情を浮かべながら携帯のEvernoteのアプリにダウンロードしたE-ticketを素早く取り出そうとした。すると・・・「オフラインのためPDFファイルが開けません」という表示が目に飛び込んできたのだ。
「そんな馬鹿な!オフラインでもこのあいだのケンブリッジでは開けたのに!Evernoteは英国びいきでドイツが憎いのか!」と一瞬焦ったが、フローニンゲンでの歩行禅がここに来て役に立ったのか、すぐに冷静になりダメ元でGmailをチェックしてみた。すると、オフラインでも添付のPDFファイルが開けることがわかり、なんとか車掌にE-ticketのバーコードを読み取ってもらえることができた。
ここから二つの仮説を立てた。一つ目の仮説は、Evernoteで最初に添付した地図のPDFがなぜオフラインでも開けていたかというと、それはオンラインの時に確認で一度開いていたからであり、オンラインの状態で一度開いたファイルであれば、オフラインでも開けるのではないか、ということだ。
二つ目の仮説は、満足気な表情はやはり悲劇しかもたらさないのではないか、ということだ。しかしよくよく考えてみると、最終的にはいつも喜劇として全ての出来事が収斂するので、武士の表情ではなく満足気な柔和な表情を浮かべておいた方がやはりいいのかもしれない、と思い直した。この仮説は実体験を伴わせながらもう少し慎重に検証する必要があるだろう。
絶えず取るに足らない思念が沸き起こり、それと真面目に向き合っているとあっという間に時間が過ぎ去り、ブレーメンに着いた。ここで今度はハノーファー行きの電車に乗り換える必要があったが、ここでは何もハプニングもなく、無事に乗り換えをし、ハノーファーに到着した。ここから最終目的地のライプチヒに向かう。
ライプチヒ行きの電車の乗り場をまず確認してから、時間に余裕があったのでハノーファーの駅構内にあるスターバックスでコーヒーを購入することにした。大学時代の第二外国語でドイツ語を学んでいたにもかかわらず、朝昼晩の挨拶と自分の名前しかドイツ語で言えないことを知りながらも、店員との最初の挨拶だけはドイツ語で行い、注文からは英語にした。
今回の欧州小旅行で切符やホテルの手配をしたのは出発の三日前からであり、オランダの自宅からオンライン上で諸々の手配をクレジットカードで行っていると、出発の二日目にクレジットカードが不正利用防止のため止められた。
その事実を知った時、すかさず国際電話でクレジットカード会社に連絡をし、出発の前日に再びカードが使えるようになったことを喜んだのを覚えている。以前紹介したように、フローニンゲン大学に留学するためには、大学側が指定した一年分の生活費の金額を大学が管理する銀行に一旦預け——米国の大学に留学した時は銀行の残高証明を提示すれば良かったのだが、オランダでは不可とのこと——、後日自分の銀行口座を開設したところでその金額が払い戻される、という面倒な仕組みがあるのだ。
そのため、それまでの期間生きていくための資金をある程度現金で持ってきてはいたが、それでも現金はあまり使いたくなかったため、クレジットカードでコーヒーの支払いをしようとした。
クレジットカードをカード機に差し込み、応答を待つ私。カード機にカードを差し込んだ時の反応は、私の頭の中には二つしかなかった。一つには、日本でもお決まりのようにPINを打ち込むというものだ。たいてい、PINを打ち込むことを要求する時には「ピピッ」という音があるか、カード機に「PIN」という英語が表示される。
もう一つの反応は、「ピピッ」という音が鳴りながらもカードが使えないと表示される場合である。大きく分けるとこの二つのパターンしか、その時の私の頭の中には無かった。
私:(カード挿入後に静かな時間が少しばかり過ぎ去り、上記の二つのパターンの内どちらで来るかをただ待っていたが、静かな時間が気まずい時間に変わったのを感じて・・・)「ねぇ、これ何て書いてあるの?(汗)」
店員はコーヒーを入れに行ってしまったから、右隣で注文を待っている小学校高学年ぐらいの女の子に聞いてみた。
女の子:「ん?それPINよ(笑)。」
私:「えっ、これ “PIN”っていう意味のドイツ語だったの!どうもありがとう(笑)。」
記憶では “G”で始まる7文字ぐらいの、PINとは全く似つかぬいかついドイツ語の単語だったと思う。それにしても、オランダ同様にドイツも英語教育がしっかりなされていて驚かされるばかりだ。英語を速やかに聞き取り、すぐさま返答できる力がこの女の子には備わっていた。
自分が小学校の高学年だった頃を振り返ってみると、見ず知らずの外国人にこのような対応を英語で臆することなくできなかったであろうと思われる。
そして、小学生の頃の私の辞書にはクレジットカードの利用に際する “PIN”という単語など無かったため、二重の意味でこの女の子に関心をした。私はこのドイツ人の女の子に別れを告げ、フローニンゲンと同様に、夏とは思えぬ涼しさのハノーファーの駅でホットコーヒーを購入し、ライプチヒ行きの列車に乗り込んだ。
【追記】 “PIN”を表すドイツ語 “Geheimzahl"