これまで様々な海外都市で生活をしてきたが、ある時から心がけていることが一つある。それは、その土地固有の食物をできるだけ摂取するということである。
確かに私は生粋の日本人であるから、海外生活の中で日本食を口に入れた時にはなんとも言えない安堵感を覚えるが、それでもなるべく現地の食材とご当地料理を食べるようにしている。こうした行動論理に導いてくれたのが、マクロビオティックの提唱者であり、思想家かつ食文化研究者の桜沢如一(さくらざわゆきかず:1893-1966)先生である。
桜沢先生が提唱した食物理論の根幹には、「宇宙全てのものが陰陽から構成されている」という「無双原理」が存在している。私は桜沢先生の思想に大いに共感しているが、マクロビオティックを実践しているわけではない。
私が唯一心がけている食物実践は、桜沢先生の食物理論の中でも重要な概念である「身土不二」に基づいて食べ物を摂取することである。身土不二とは元来、仏教の世界における言葉であり、私たちの身体と土地(環境)は切り離せない、という考え方である。
こうした仏教の世界観を出発点とし、明治期に起こった食用運動に後押しされる形で、石塚左玄という軍医が身土不二の仏教用語を食物理論に拡張適用し、「地元の食べ物や旬の食べ物が身体に良い」という考え方を提唱したのだ。実は、このあたりの話は全て、ロサンゼルス時代の合気道の師匠である松岡春夫先生から伺ったものである。
松岡先生は、以前紹介したように(記事247参照)、「洋平さん、『敗北』という言葉の由来を知っていますか?古代中国において、ぬくぬくとした環境で生活をしていた南の国の連中が、極寒の厳しい環境で生活をしていた北の国の連中に敗れたことに由来しているそうです。なので、自己の鍛錬のために洋平さんも北に行くといい」という言葉を掛けてくださった方である。
松岡先生との出会いは、ロサンゼルス到着後の間もない時であり、当時の私には全く門外漢であった合気道や武道について色々と教えてもらった。その時に合気道に大変興味を持ったが、実際に合気道を始めたのはその半年後からであった。
ロサンゼルスの滞在期間がわずか一年とは予想しておらず、もう少し早く先生の下で合気道を始めておけばよかったと思ったが、ロサンゼルスの最後の半年は本当に足しげく道場に通わせていただき、クラスの終了後も雑談と合わせて各種の秘伝を伝授していただいたことが非常に懐かしい。
現時点での自分が持っている最良のものを全ての人に出し惜しみなく提供するということ。有段者でも今日から合気道を始めた者でも関係なく、とにかく自分が習得した秘伝を真っ先に公開すること。その結果として、自分を超えるような存在が出てきても落胆することなく、むしろ歓迎するという先生の姿勢に感銘を受けた。
振り返ってみると、松岡先生は私にとって、ロサンゼルス時代の大きな精神的支えだったように思う。自分の抱える苦悩や葛藤を他者に打ち明けることをほとんどしないにもかかわらず、松岡先生にだけは相談に乗ってもらうことがあったのだ。
そうした行動に仕向けたのは、上述のような先生のお人柄が一番の要因だろうし、合気道の技術を高めることに日々精進されておられることのみならず、ご自身の思想を深化させるべく仏典解釈にも余念がないという求道者的姿勢に共感と信頼を持ったからだろう。
そのようなことを思い出しながら、オランダでの現在の生活において、身土不二に基づいた食物実践をしている。オランダはチーズなどの乳製品で有名であるが、オランダに来てからチーズを多く摂取するようになり、わずか数日足らずで肌の調子に大きな変化が見られたことは驚いた。
そうした目に見える形での効用のみならず、チーズを含めて、オランダの現地人が食べるものを摂取することによって、この国への順応がより速やかに進行していることを強く実感するのだ。
ジェームズ・ギブソンの生態心理学しかり、ダイナミックシステム理論しかり、私たちという存在は取り巻く環境と密接不可分であり、なおかつ相互作用しているというのは、食生活においても当てはまるのだということを強く実感させられる毎日である。
心の発達は一生涯継続していき、身体の発達は成人で止まるとわかっていながらも、これから毎日チーズをある一定量摂取すれば、オランダ人のように大きくなれるかもしれないという淡い期待がある。そうした非現実的な淡い期待を抱きながらも、真に望むことは、オランダという土地でしか育むことのできない内面の深化を時間をかけて行っていくことだろう。